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1、先生たちの関係性の変容
自分の勝手な妄想であってほしい。でも、先生たちの間に、もしもそうした空気が普段から流れていたのだとしたら・・・。
それを打ち破るのは、非常時といえども容易ではなかったのではないか、と思う。もしも自分が同じ立場に立たされていたら、と想像してみると、打ち破れる自信はとても持てないから・・・。
でも本来、学校の先生たちは、対等な関係で、協力しあいながら、社会の宝物であるこどもたちを育ててくれる、貴重な存在のはずだとも思う。かつて教育に従事されていて退職された先生方に伺うと、半ドンだった土曜日の午後などは、みんなで研究会を開いたりしながら、教育について、こどもの未来について、活発な議論をとことん交わしていたと述懐される場合が多い。
しかし、国の締め付けで、先生方は忙しくされ、管理は強化され、そのような環境はどんどん失われつつある。教員間のヒエラルキー化が進み、こどもは管理の対象となり、物言えぬ環境が醸成されてしまっている。
現職の先生方のお話を伺うと、同僚に相談したくてもできないような空気があり、こどものためを思う実践をすると孤立する場合もあるのだそうだ。
大川小学校の場合、先生方もお亡くなりになっているので、もう、当時の職員室の空気を知ることはできない。でも、もし、大川小学校の悲劇が、こうした教育「改革」の結果もたらされた職員室の空気が原因で起こったのだとしたら・・・。辛くて、悲しくて仕方がない。
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2、いびつな教育行政
もちろん、ふだんの職場の空気が原因で、とっさに声をあげられなかったのだとしても、先生方にも重大な責任がある。この点は、遺族のみなさまのお気持ちからしても、決して否定されてはいけない。
それを十分にふまえたうえで、それでも考えたいのは、先生方のあいだにそのような空気を醸成するような「改革」を推し進めてきた教育行政にも問題があるのではないか、という点である。
昨日から書いてきたような、勤務評定や学校の評価にくわえ、自治体によっては、授業の週報だけでなく、日報を課されるところもある。それだけでなく、教育委員会のありかたが5年ほど前に「改革」され、政治権力の思惑が教育現場をより左右するようになった結果、先生たちが委縮させられている、という問題もある。
学力テストに象徴されるように、学力を上げることが至上命題となり、管理教育が以前にもましてはびこっている。昨今問題視されているブラック校則に代表されるように。
子ども同士の信頼の醸成や多様性の尊重といった、社会でいちばん必要とされるはずの生きる力はあと回しにされ、不登校になる子が増えている。学校の評価が下がるため、いじめが隠されたり、教育委員会がいじめられている子に転向を促したりと、教育力の低下どころでは説明できない人権侵害が多発している。
社会のおかしい点について考えようという授業をしたらクレームが入ったり、管理職からの指導という形で圧力がかかったり。
上からの評価や学力テストでの自治体間格差を気にするあまり、こどものほうではなく、教育行政のなかのより上位のほうにばかり目を向け、現場を、こどもを管理すればいいんだという教育行政がまかり通ってしまっているような気がしてならない。
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3、教育行政のありかたの見直しが重要では?
だからこそ、宮城県教委も石巻市教委も、被害に遭ったこどもたちとご遺族の側に立ち、大川小学校で何があったのかを積極的に解明しようとしてこなかったのではないか、と邪推してしまう。
それどころか、石巻市教委は、生存者へのヒアリングメモを廃棄するという、ご遺族の感情を逆なでする行為までやってのけた。その結果、全員が校庭に避難してからの全容は、明らかにならないままになっている。こどもたちの最後の姿を少しでも知りたい遺族の気持ちを踏みにじる、倫理的に大きな問題のある行為ではないだろうか。生き残ったこどもたちの声が漏れると、学校の、ひいては教育委員会の責任が問われかねない内容だったのではないか、と勘繰ってしまう。
この事実に端的に表れているように、こどもたちを中心におけなくなっている教育行政のあり方を、こどもたちを信頼する教育へと根本から転換しないかぎり、また同じことが繰り返されてしまうかもしれない・・・。絶対にそうなってほしくはない。
だから、私たちが責任を追及すべきは、当時の大川小学校の運営に携わっていた現場の大人たちであると同時に、学校の職員室を、上意下達がまかり通る、モノが言えない空気にした教育行政のあり方でもあるのだと思う。
このようなモヤモヤとした思いが頭をめぐる、戸倉地区の訪問となった。
(2021年3月30日に誤字などを修正しました)