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1、抱負
昨年は、記事の更新が滞ってしまい、楽しみにしていただいていた皆様には本当に申し訳ございませんでした。
手術をしたり、コロナに罹ったりいろいろあって、単著の原稿の脱稿が遅れに遅れしました。ですが、お世話になってばかりの出版社さんに温かく見守って頂き、12月にやっと提出することができました。
いま、大学は、研究業績をあげないと評価が下がる仕組みなので、集中しないといかず更新頻度の下がる時期はあるかもしれないのですが、それでも今年は、できるだけ日々の思ったことを書き記していくことを、元旦の抱負にしたいと思います。
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2、福山雅治さんのサプライズコンサート
昨夜は紅白歌合戦。ここ数年は紅組に投票してきたのですが、昨夜は家族の満場一致で白組に多く配分しました。
大トリは、福山雅治さんでした。懐かしい「桜坂」!
私、22年半ほどまえに、実は、あるところで福山さんの生「桜坂」を拝聴したことがあります。その場所は、旧虻田町(現洞爺湖町)の虻田小学校体育館でした。
2000年3月31日に噴火した有珠山のふもとにある虻田町では、当時、町民のほとんどのみなさんが避難を強いられていました。そんな虻田町に、福山さんがサプライズコンサートに来てくださったのです。
災害ボランティアとして微力ながら長期滞在していた私は、コンサートの裏方として、体育館の2階部分にある窓の暗幕を抑える係でした。エアコンがない夏の体育館での開催だったので窓を開ける必要があったのですが、照明の関係で暗幕も閉めないといけず、風でなびいてしまう暗幕を抑える必要があったのです。
私が担当したのは、舞台に向かって右側の、舞台が見下ろせる窓でした。
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3、福山さんの言葉
なので私は、特等席で、暗幕がなびかないよう注意しながら、その春にリリースされたばかりだった「桜坂」をはじめ、福山さんの奏でる名曲の数々に心を奪われていました。
会場は、立ち見が出るほどの熱気でした。サプライズだったのに、どこかで情報が漏れてしまったらしく、たぶん避難している方がた以外でも観に来られた方はいたと思います。なので、コンサートが終わっても、一部の方はなかなか帰ろうとしませんでした。
私は、そんな混乱をみながら、ほかのボランティアさんや福山さん専属(?)のスタッフの方がたと一緒に、会場の片づけを手伝っていました。
もう福山さんはいないらしいという気配になって、出待ちをしていた方たちも完全にいなくなったとき・・・なんと、舞台袖から、福山さんが出ていらしたのです! そして、体育館の真ん中で足を停められた福山さんは、体育館中に響き渡る声で、こうハッキリと仰いました。
「ボランティアのみなさん、スタッフのみなさん、今日は本当にありがとうございました!」
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4、感動
もう20年以上前のことなので、福山さんがあいさつされた後にどうなったのかは覚えていません。片付けをしている皆が手をとめて拍手が起こったような気もするのですが、うろ覚えです。
でも、はっきりと覚えていることがあります。それは、私自身の心の躍動です。
〈福山さんって、こんなに礼儀正しい方なんだ、私たちのような裏方も大事に思ってくださっているんだ!〉と。
そして何より、ボランティアを先に言ってくださったのが、とても嬉しかったのを今でも覚えています。
昨夜の紅白歌合戦は、そんな遠い記憶が呼び覚まされる一夜となりました。
みなさま、今年もよろしくお願い申し上げます!
紅白での福山雅治さん平和の気持ちが伝わってきました。
私達家族は長崎市が長く、福山さんが長崎工業高校在学中はその高校の近くに住んでました。同じ空気を吸ってましたね!
福山雅治さんは歌だけでなく俳優としても一流でこれからもファンで応援したいと思います。
野村様
ご無沙汰いたしております。コメントを頂きありがとうございます!
ブログを確認する頻度が少なくて、応答が遅れてしまい大変失礼いたしました。
長崎市にお住まいだったのですね!
福山さんと同じ空気を吸っていらしたなんて、とても羨ましいです!
私も、福山さんを応援し続けたいと思います!
寒い日が続いていますので、どうかご自愛の上お過ごしください。
澤 佳成