◆黒い雨
1945年8月6日、午前8時15分。アメリカ軍の投下した原子爆弾(リトルボーイ)が広島市上空で炸裂した。一瞬で多くの人のいのちを奪った。当時、被爆者の診療にあたった肥田舜太郎医師の講演会で伺ったお話によると、広島市内から怪我せずに逃れてきた人でも、数日後に口が真っ黒になったと思ったら、すぐ亡くなるなど、被曝の影響は深刻だったという。
遠方にいた人たちが被曝した原因のひとつに、原爆投下の影響で降った黒い雨があった。
黒い雨が描かれた映像が忘れられない。それは、広島の中心街に住む三姉妹(長女役:松たか子さん・次女役:加藤あいさん・三女役:長澤まさみさん)の視点から原爆を描いたTBSのドラマ『広島 昭和20年8月6日』(2005年放送)のワンシーン。松たか子さんの恋人役だった国分太一さんは、出征からもどる電車に乗っていて、広島に入る直前だった。そこに原子爆弾が投下。国分さんは急いで被災直後の広島に入り、三姉妹の自宅に急ぐのだけれど、一面の焼き野原。そして、松たか子さんの姿が自宅付近の岩肌に焼き付けられているのを見つけ、号泣しながら抱きしめているところに、黒い雨が降ってきたのだ・・・。
◆保障の網から漏れてしまった方たち
そんな黒い雨が降ったはずなのに、一部の地域住民には、原爆症に悩む方たちに被爆者健康手帳が交付されていない・・・。その事実を、数年前に見たNHKの番組ではじめて知った。
大学の先生たちがコンピューターでシミュレーションした雨の範囲は、行政が定めた雨の範囲よりはるかに広かったのではないかという推定が紹介されていた。また、行政の定めた黒い雨の降雨地域の範囲外にもかかわらず、家族のほとんどが癌になったりする事例がたくさんあることなども紹介されていた。
それまで何も知らなかった自分を恥じた。おかしいと思った。だから、そういう苦しい思いをされた方たちへの手帳の不交付はおかしいという判決を、広島地裁がきのう出したというニュースを見たとき、本当にうれしくなった。
◆黒い雨にも公害・コロナ問題と似た構図が
同時に、公害と同じではないか!とも思った。別のところでも書いたけれど、水俣病も、チッソ水俣工場の排出した有機水銀に汚染された水俣湾産の魚介類による食中毒事件なのに、食品衛生法に基づく調査はなされなかった。結果、おおくの人が自分も水俣病だと訴えているにもかかわらず、いまだに放置されている現実がある。
黒い雨もまた、今回の広島地裁の判決で指摘された通り、直後の混乱している中で収集された限定的な情報で範囲が確定されたのだという。あらたな黒い雨の降った地域の情報や、病気が多発している情報などがあとから入ってきたのなら、それをふまえて範囲を広げるべきだったはずなのに、そういう被爆者目線での対応はなされてこなかった。
公害だけではない。コロナ問題も同じ問題をはらんでいる。政府も専門家もいまだにクラスター感染つぶしというポリシーにこだわり、検査数を抑制して現実に目を向けようとせず、市中感染が広がってしまっているからである。
保障費の負担を減らしたいからなのか、あるいは体裁を気にするからなのか、被害の正確な情報の把握を意図的にネグレクトし、きちんとした対策をとろうとしないという構図。それが70年以上たった今でも変わっていない。
◆今も続く、情報を隠蔽するという構図
それだけではない。もしもこのとき、広島に原子爆弾が落とされたこと、健康に被害が出る恐れがあるので黒い雨には当たらず、黒い雨にうたれた食品や水は摂取しないようにという情報がすぐにラジオや町内無線で流されていたとしたら、被害はもっと少なくて済んだかもしれない。
しかし政府は、戦況が悪化している事実を国民に知られないようにするため、情報を握りつぶした。これって、2011年の福島原発事故当時、SPEEDIの情報を隠して多くの人を被曝させた政府の対応と同じではないだろうか?
体裁を気にするあまり、あるいはパニックを防ぐという理由により、正確な情報を隠し、結果、市民が割を食うという構図。これもまた戦前から何も変わっていない。愕然とする。
そんななかで、今回の広島地裁判決は、司法の良心という一筋の光明を見る思いがした。