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ロシアが、ウクライナに侵攻してしまいました。なんの罪もないこどもたちを含め、多くの一般市民が犠牲になっておられます。悔しいし、悲しいし、おかしいです。プーチン大統領には、1分でも1秒でも早く、国際法違反の軍事侵攻を停止してほしいと願わずにはいられません。ウクライナの問題については、おいおいこのブログでも考えていけたらと思っています。
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1、発症
今年に入ってから、こどもたちの通う学校が、コロナで学年閉鎖になったり、学級閉鎖になったりしていました。住んでいる町の学校や保育園・幼稚園も、似たような状況にありました。
4歳の三男・Tくんの通う保育園も、同じような状況でしたが、都の方針により、可能な限り保育は続けるという運営がなされていて、共働きの保護者としてはとても助かっていました。
そんなギリギリの状況下にあった2月中旬。Tくんがついに濃厚接触者となってしまいました。
この頃にはもう70~80人に1人の都民がコロナ陽性だったので、驚きはしませんでしたが、これから家族みんなでの闘いが始まるんだと思うと、〈とうとうこのときがきたか!〉と武者震いせずにはいられませんでした。
保育園から「自宅での待機をお願いします」と連絡が来て、Tくんを早迎えに行った日を起点にして3日目。なんともなさそうにケラケラ笑っているTくんの姿を見て、〈これならなんとか症状が出ずに乗り切れるかも!〉と思っていた矢先の、その日の夜のこと・・・。18時過ぎにオンラインでの会議を終えた私のもとに近寄ってきたTくんを抱っこしたら、すごく熱かったのです!
〈お昼ご飯を食べた後の検温では平熱だったのにな~〉と思いつつ体温計で測ってみたら、なんと39℃近くの熱があったのです!
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2、放置
それからというもの、ずっと抱っこをせがんでくるTくん。時間が経てばたつほど、辛そうにしていて、苦しくてときおり泣いてしまっていました。
親としては、コロナかどうかハッキリさせたいので、まず保育園へ電話しました。
「濃厚接触者が発症した場合のマニュアルなどが、保健所から届いたりはしていないですか?」
「いや、申し訳ないのですが、そうした類のものは届いていないのです・・・。」
いつもお世話になっている保育士さんが、申し訳なさそうにそう仰いました。
それから、いつも立川の大きい病院につないでくださるかかりつけの医院へ電話をしました。でも、受付時間が終わっていて、翌日が休診日なので対応できません、とのお返事でした。
次は、近くの東京都立小児総合医療センターへ。あせっていたからか、まちがって大人のほうの総合医療センター受付に電話してしまったのですが、次のように伝えられました。
「中等症以上という診断がないかぎり、小児のほうも対処療法だけになってしまいます。それでも良ければお越しください」・・・。
〈夜間診療の時間帯にもお医者さんはいらっしゃるのに、なぜ診断ができないんですか?〉と喉元まで出かかりましたが、言わずにおきました。検査キットが今よりずっと足りない頃で、受付の方にも都立病院の先生、看護師さん、検査技師さんたちにも、なんら責任はないからです。
ここで、テレビの情報でしか知らなかった、濃厚接触者でも放置されるという現実の真の恐ろしさを知りました。実際、保健所から連絡があったのは、Tくんの症状がおさまったころ、発症から5~6日たってからでした。しかも、自宅待機中の注意事項と食糧支援のことが書かれたメールが、それぞれ1通ずつ届いただけでした・・・。
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3、絶望
話をTくん発熱の夜に戻します。心当たりの電話先がつき、行政のホームページを見てみましたが、濃厚接触者がどうすれば検査に辿り着けるのかという一番知りたい情報がありません。
〈ああ、濃厚接触者だからといって、発症したら優先的に検査されるような体制が組まれているわけではないんだ。〉
〈報道でいわれているとおり、やっぱり自力で何とかするしかないんだな・・・。〉
〈ブログで政府の対応のまずさをさんざん指摘してきたけれど、いざ自分のこどもが罹患すると、何にもできないんだな~。親として本当に申し訳ない。〉
といった気持ちが頭のなかでごちゃ混ぜになっていました。そんななか、胸のなかで苦しむTくんをみて、途方に暮れるしかありませんでした。それと同時に、〈もしこのまま検査してもらえず、Tくんになにかあったら・・・〉という強烈な恐怖にも襲われていました。
不思議なもので、家族が濃厚接触者だけれども症状がないという場合は、企業も学校も通勤・通学可のところが多いらしく、K子さんも、上の子たちも通勤・通学し、面倒を見ていたのは私でした。こどもたちは夕方には帰ってきていて、家事を手伝ってくれましたが、K子さんはコロナによる長期休暇が見込まれることから、仕事に目途をつけるため、帰宅は深夜になりました。
ときおり嘔吐物を一身に浴びながらも苦しむTくんを抱っこし続け、各方面に電話してもどうしようもない状況・・・。親としての孤独と絶望をこれほど感じたのは、このときが生まれてはじめてでした。
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4、幸運
ところが、そんな絶望の淵から私たち家族を這い上がらせてくれる、ふたつの幸運に恵まれました。
ひとつめは、翌日、社会的に検査キットが不足していたなかで、Tくんの検査ができたことです。幸いにも、それまでは検査をしていなかったかかりつけの小児クリニックで、PCR検査が始められていたのです! 急いで検査をしていただき、翌日には結果が判明。やっぱり陽性でした。
家族みんなでの闘いが始まりました。でも、4歳のTくんを隔離することなどできません。
それゆえ、家族の待機期間は通常の2倍となってしまい、このあいだの週末までかかりました。
でも、幸いにも、ほかの家族は誰も発症しませんでした。K子さんは喉が痛い日があり検査を受けましたが、幸い陰性でした。家族の誰にもうつらかなったこと。これが、ふたつめの幸運です。
とにもかくにも、私たち家族の新型コロナウイルスとの闘いは、幕を閉じました。でも、コロナはいまでも変異を続けながら猛威をふるい続けています。いつまた家族が感染するか、予断を許さない状況が続いています。ともあれ、いったんは絶望を感じたのもあって、乗り切れたという喜びはひとしおでした。と同時に、第6波のいま、1日にコロナで亡くなる方の人数が過去の記録を更新していますが、どうか1日も早く、コロナで亡くなる方がでない日が来るよう祈らずにはいられません。