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ものぐさ講師の徒然日記

窓際大学教員が、日々の暮らしで感じたことを、徒然なるままに綴っています(日・木曜日に更新)

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【災害から考える24】大雪考①――気象庁だけの責任か?(2014年2月17日(月)の日記)

Posted on 2022年2月10日2022年2月10日 by monogusalecturer2021

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◎8年前の日記「大雪考」をアップする理由

 先月は、冬休み終盤の6日~7日と2日にわたり雪が降り続け、首都圏でも大雪となました。そして今夜もまた、首都圏で雪が積もりそうです。

 1月の大雪時は、府中市もだいぶ雪が積もり、こどもたちと一緒に雪合戦をしたり、雪だるまをつくったりしました。

 そのいっぽうで、雪かきもしなければなりませんでした。

 弘前から持ってきた雪かき道具が、1月の大雪のときも役に立ちました。ただ、ついに、スコップもプッシャーも壊れてしまい、とても悲しい気持ちになってしまいました。思えば、弘前在住時、ともに大雪と闘った仲間で愛着があったからなんでしょうね・・・。

 その悲しさゆえ、というわけではないですが、今日から5回にわたり、今年と同じように首都圏を2度の大雪が襲った2014年の日記「大雪考」を掲載します。

 なぜか? 第1に、それは、首都圏の大雪のニュースでよく聞く、これくらいの雪で大変だと言っていると、雪になれている雪国の人たちに笑われてしまう、という表現に、違和感を覚えるからです。

 たった2年間だけですけれど、雪国で生活した身として、「雪国は雪に慣れている」という言い方は、あまり適切ではないと思っています。なぜなら、一度にドカッと降る大雪に対応するのは、雪国だって容易ではないからです。

 ひとつだけ実体験をあげさせてください。昼間に20~30センチほど雪が積もると、雪国といえども除雪が追い付かず、道路のあちこちにくぼみができてしまって、帰宅ラッシュ時の車はみんなバウンドしながらノロノロと走っています。そんな状況でおたがいに離合するのは、恐怖以外の何ものでもありません。

 第2に、大雪でいろいろ起こってしまう背景には、社会的な仕組みの問題があるのだけれど、それがうやむやにされてしまうと考えるからです。

 雪というのは、目視しなければ観測が難しい気象現象です。でも、2000年代の構造改革で、気象庁は大幅に人員が削減されました。だから、無人の気象観測所が多くなり、それだけ人の生活に関わる気象の変化が捉えにくくなっています。

 コロナ禍のいま、いざというときの備えが、医療や教育などの分野で脆弱すぎたのではないかという反省の声が上がっていますが、大雪という気象に関しても、同じことがいえると私は考えています。

 そうした問題意識から、今回は、東京でも2度の大雪を経験した2014年の2月に記した日記を、5回にわたりUPしたいと思いました。読み返してみると、このときの教訓がまったく生かされないまま8年が過ぎようとしているんだな、とさみしい気持ちになります。

 なお、8年経っているため、時系列や当時の出来事などをわかりやすい表現にしたり、おかしな部分を修正したりしています。

 説明が長くなってしまいました。よろしければ、ご笑覧ください。

・・・・・・・・・・

【以下、2014年2月17日の日記です】

 先週水曜日から長男、金曜日から次男、昨日から長女と、子どもたちが立て続けにインフルエンザに罹ってしまった。これまでおよそ5年ほど、インフルエンザに罹った家族を看病してもうつる気配がなかった私だけれど、ひさかたぶりにやられてしまった。2回続いた20年ぶりの大雪で、いずれも一日中雪かきをし、悲鳴を上げていた体がウイルスに抵抗できなくなっていたのかもしれない。

 2011年度から弘前大学教育学部に就職した私は、1年目、30年ぶりの大雪という洗礼を浴びた。ご近所の方から、「もう来年は大丈夫だよ! 今年はいい経験になったね(笑)」と言われたのも束の間、2年目は観測史上最高の大雪に見舞われた。ご近所のみなさんと、雪かき大反省会(要するに飲み会)でもしなければやっていられないほど、うんざりの雪量だった。

 だから雪かきには慣れているつもりだったけれど、肝心のママさんダンプを手放してきたために、道具が万全ではない。さらに今回は、積もりきった直後に雨が降って、かなり重くなった雪を処理しなければならなかったため、体中の筋肉を使い、かなり疲労困憊してしまった。

 やっぱり、毎朝1~3時間、継続してやっているのとはわけが違う。

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 ところで、バレンタインデーから降り始めた今回の大雪は、降り始めてのちすぐ雨に変わるので大丈夫という予報だったが、外れに外れた。我が家の周りでは、少なくとも40センチは積もっていただろう。それでも、大雪警戒警報は発令されなかった。

 この対応の遅れについて、気象庁がヤリ玉に挙がり、責めたてられている。

 でも、少し考えてみてほしい。もちろん、警報が発令されなかったからこそ、他の省庁や民間の対策が遅れたのは否めない。だから、この点をかばう余地はない。けれども、本当に、気象庁だけが、今回の判断ミスの責めを負わなければならないのだろうか?

 気象庁は、聖域なき構造改革のなかで目を付けられた、リストラ対象官庁のひとつである。

 かつては、けっこう小さな観測所にも気象庁の職員がいて、天候を観測していた。有人でなければ観測の難しい現象がたくさんあるからだ。

 その代表格が、桜の開花である。天候でいえば、もっとも難しいのは空から降ってくる凍った水の塊の状態である。それが雪なのか、みぞれか雹か、それとも雨なのかは、雨量計にたまった水の量ではわからない。人の目で判断しなければ見分けがつかない。

だから、基本的に有人の観測所がほうぼうに設置されていた。

~~~~~

 ところが、構造改革により人員削減の格好の標的とされた多くの観測所が、閉鎖もしくはデジタル化された。しかし、デジタル化されたところで、目で見ないとわからないものが突然わかるようになるわけではない。

 今回は、この弊害がもろに出てしまったのではないかと思う。ほうぼうに点在する有人の観測所がまだ健在だったら、所員たちからの大雪報告で、本庁が判断を変える可能性は十分にあったのだから。

 構造改革推進当時の為政者は、「官から民へ」をスローガンに、規制緩和の目玉のひとつとして、気象庁に大ナタを振るった。しかし、今回明らかになったように、気象は人間の生活といのちに直結する。その気象の番人を、経済効率優先の改革で縮小したツケが、いま回ってきているのだと思う。

 だから、気象庁だけが厳しく責めたてられているのは、納得がいかない。

 判断するための道具を奪ったという自らの非は捨ておいて、道具を奪われた側の責任だけを言いつのるという態度は、けっして大人の態度ではない。むしろ、いじめられっ子から道具を奪っておいて右往左往する様子をあざ笑ういじめっ子の姿にも似た態度である。

 本来なら、判断するための道具を気象庁から大幅に奪った当時の為政者や有識者も、同時に責任を問われるべきではないのだろうか?

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