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1、過労
1月14日のブログで、13日の朝、K子さんをとあるところまで送った、と書いた。実は、それは昨年12月からかかりつけ先になっている病院だった。
ずっと弊ブログをご笑覧いただいている方ならわかると思うけれども、1月13日は、私、高熱を発してPCR検査をした翌日だったので、まだ体調は万全ではなかった。抗原検査の結果は陰性だったので半分安心はできていたけれど、PCR検査の結果はまだ分かっていない段階だった。
それでも、K子さんをかかりつけの病院に連れて行かざるを得なかった。
K子さんは、長いあいだ訪問看護師として、自宅で療養されている患者さんのために尽くしてきた。
医療措置だけでなく、入浴介助、適便、などなど。私にはとてもできない。
看護師さんでも、訪問看護を希望される方は少ないらしく、需要はいっぱいあるのに働き手の確保が追い付いていない。
だからK子さんは、とくにステーションの異動があった昨年5月から、オーバーワークになっていた。そんな忙しさのなか、昨年12月3日、K子さんは23時半ころ帰宅した。
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2、発病
そして次の日の夕方。休日の仕事があって出勤していた私が自宅に戻ったとき、K子さんは床に臥せっていた。話を聞くと、玉ねぎのみじん切りをしていたK子さんを、突然、生まれて初めてのめまいが襲ったらしい。
「一晩寝て治らなかったら病院へ行こう」と約束した。
翌12月4日の朝。症状はまったく好転していなかった。
病院へ行き、下された診断はメニエール病の初期症状・・・。
原因不明のめまいがして、吐き気も催し、日常の生活や仕事ができなくなる病気だ。
私は、祖母がメニエール病で何年も苦しんで辛そうな姿を見ていたので、ショックだった。
メニエール病は、とにかくゆっくり体を休めなければいけない。
闘病するK子さんを、こどもたちと一緒に支えながら生活する日々が始まった。
そうした生活のなかで、K子さんは一進一退を繰り返した。そして、少し症状がよくなっただけで、「みんなに迷惑をかける」「患者さんに申し訳ない」と、すぐ涙するのだった。
K子さんは幸い、薬を飲みながらではあるけれど、1月から仕事に復帰することができた。でも、PCR検査を受けるために私を隣町の大きな病院へ車で送ってくれたのが災いし、病気がぶり返してしまったのだ。
またしても幸いなことに、K子さんは5日ほどの静養で復帰できたけれど、高い熱を出してしまった自分を責めずにはいられなかった。
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3、限界
コロナの波がおおきくなってくると、訪問看護のしくみをつかって、という話が毎回出てくる。
でも、少なくとも私が聞く限り、現場はすでに限界だ。だからK子さんも体を崩してしまった。
日常的に処置が必要な患者さんに加え、病院から戻り、終末期を自宅で過ごしたい患者さんたちからつねに一定割合で訪問看護の依頼が入る。そこに、コロナの患者さんも加われば、訪問看護ステーションはパンクしてしまう。しかも、コロナ患者を優先すると、ほかの病気の手術ができなくなる病院と同じで、他の患者さんたちへのしわ寄せが生じうる。
でも、在宅でケアをしている患者さんたちは、日常的な処置が必要なので、訪問看護の場合、病院と違い、手術を先延ばしにすればコロナ対応が可能になる、というわけではない。在宅の患者さんたちは、日々の処置が遅れたり難しくなったりすれば、最悪の場合、死が待っている。
だから、安易に訪問看護の活用と言ってはいけないと私は強く感じる。けれども報道では、識者も含めて、けっこう安易に訪問看護を活用すべしといわれる。
そういうのならば、まずは平時における人材の確保から具体策を講じておかないと、現場は崩壊してしまう。過労が重なっている訪問看護師さんたちを、かんたんにコロナ対応できる駒であるかのように扱う言い方は、ほんとうにやめてほしい。