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以前にもお伝えした通り、「哲学」の授業では、2つめの大きな柱として、5回にわたり「人間にとって自由とは何か」という問いから探求を繰り広げています。カントのいう自由、J.S.ミルのいう自由、フロムのいう自由。歴史的な事件も加味しながら、自由とは何か、自由とは存在するのか、といった点を受講生のみなさんには考えていただいています。
今回は、差別の問題を自由からきりとって鋭い指摘をされているDさんのレポートを紹介します。
いま現在、いろんな問題で不自由な思いをしている人たちにたいして「どれだけ誠意をもって対応するのかは、その問題に悩まされていない側に委ねられてしまっている」。性の多様性、入国管理局でのいろんな問題、ヘイトクライムの問題など、あらゆる差別の問題があるいま、Dさんのこの言葉は私たちにたいする重い問いかけになっていると私は感じています。
※Dさんご本人から許可を頂いて掲載しております。CDさんにおかれましては、掲載すべき時期が半年ほど遅れてしまいましたこと、ここに深くお詫び申し上げます。
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差別問題の食わず嫌い
Dさん
私が考える人間にとっての自由に必要なこととは、過去や現在に存在した差別問題を咀嚼することだ。”咀嚼”を構成する咀、嚼はどちらも「かむ」という意味をもっており、”咀嚼”という言葉は「かむ」という意味を強調した言葉である。一般的に「口の中で食べ物をかみ砕くこと、かみ砕いて味わうこと」という意味で使用されるが、ここから転じて「文章や言葉の意味をよく考えて味わう」、「文章や言葉の深い意味を理解しようとよく考える」という意味でも使用される(※1)。つまり差別を咀嚼するとは差別問題の本質的な理解をするということであり、今不自由な生活を強いられている人を救うために必要なことは表面的な法律でも支援制度でもなく、差別問題の咀嚼であると考える。
国家社会主義時代のドイツでは国民の生死さえも権力者が握っていた。1933 年に成立した「遺伝子病子孫予防法」によって「治療可能性」、「教化の見込み」、「労働能力」などを尺度に命の選別を行えるようになった。そして統合失調症、躁うつ病、遺伝性のてんかんなどを患う 40 万人以上を本人に実質的な拒否権を与えないまま妊娠不能にしていった。その後差別はさらに激化し、精神疾患や障害をもつものは餓死や医薬品の投与、ガス室などで殺害された(※2)。当時、殺害された患者の家族やガス室へ向かうバスの目撃者は異常な現実にうすうす気がついていた。しかし今の自分には関係のないことだという思いや、声を上げれば次の標的にされるかもしれないという恐怖から口を閉ざし見て見ぬふりをしていたようだ。この歴史を知った現代の人々ならだれでも「なんてひどい差別が行われていたんだ」と唖然とするだろう。
しかしながら現代でも差別に苦しむ人は多く存在する。例えばトランスジェンダーの方だ。日本ではトランスジェンダーの方を中心に同性婚の認可を求める裁判が行われている。この裁判の論点は憲法 24 条 1 項「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」は同性婚を制限しているのかどうか、ということだ。2021 年 3 月 17 日に札幌地裁が「同性婚を認めないのは違憲」という判断を下したものの、憲法 24 条ではなく 14 条「法の下の平等」を根拠としての判断であるため、国家賠償や同性婚を認める立法を促すようなことはなかった。そのため控訴している(※3)。
国を相手に裁判を起こさなければならないのには、異性カップルが当たり前のように与えられている恩恵を同性カップルに与えられていないという差別が生じているからである。最も大きな不利益は同性婚を認める制度がないため表面的には家族として扱ってもらえないことだ。そこから派生して、パートナーの容体が急変した際などに説明を聞くことができない、医療行為の同意をできない、などがある。他にも税金の控除などの優遇が受けられないということがある。さらにどちらかが亡くなった時に遺言書が無いと相続することができず、遺言書を残し遺贈した場合でも贈与税が発生してしまう(※4)。
この問題を見て見ぬふりしている人も全く関心がなく何も知らない人も多いだろう。そしてそのような理解の無い社会ではトランスジェンダーであることを公言できない人が多いだろう。その結果自分にも自分の周囲でも関係のない話だから、と知らんぷりをする人が増える悪循環にある。ドイツを生きた精神疾患や障害を持つ患者も日本を生きるトランスジェンダーの方も何も悪いことをしていない。偶々、多数派の人と特徴が異なるというだけで差別されている。過去の出来事を知った時に、同情や怒り、もう二度とそんな悲劇を起こしてはならないと考えられる人はたくさんいるのに、今現在差別に苦しむ人が減らないのはなぜだろう。それは過去と今を分けて考えているからだ。だから過去を咀嚼し、本質的な理解を深め、現在に当てはめ、改善していかなければならない。法整備などを行えるのはごく限られた人のみだが、その権力者を動かすためには一般市民の働きかけが重要なのだ。例えば、同性婚に関心を示す国会議員に投票する、SNS などで自分の意見を発信する、誰かが発信した意見に対してのアクションはもっと簡単に行うことができる。
実際に多くの人が関心を示したことで現状が急変した例として、新型コロナウイルス感染症に対抗するワクチン開発がある。新型コロナウイルス感染症に対抗するワクチン開発はこれまでの常識を覆す異常なスピードで実用化された。それはコロナウイルスの感染拡大が mRNA ワクチンの技術基盤が成熟してきた時期と重なったという幸運もあるが、なにより全世界がワクチンの実用化を望み、権力者に日本円にして数千億円もの財政的支援という行動を起こさせたことが大きい。これによって企業が財政的な不安を感じることなく複数の治験を並行して進めることができ、1 年足らずという短い期間で複数のワクチンの実用化という結果が得られたのだ(※5)。新型コロナウイルスを止めるためにはワクチンの開発が必要不可欠だろう、という多くの人の理解、願いが生んだ大きな功績である。
多くの人が注目することであれば簡単に現状が変えられるということが証明された今、差別がなくならないのは誰も差別に対して関心を示していないからだと断言できる。差別に対する関心が低いのは多くの人が自分には関係のない問題だと捉えているからだろう。しかしそれではかつてのドイツと何ら変わりない。かろうじて日本国憲法によって自由が保障されているため、現在不自由な思いをしている人が裁判などの行動を起こすことができているだけだ。その意見に対してどれだけ誠意をもって対応するのかは、その問題に悩まされていない側に委ねられてしまっている。だからこそ積極的に現状を調べ、当事者の気持ちを知り、どのような改善策があるのかを考えることが大切だ。決して少数派は擁護されるべきだ、ということではなく、当事者の要望が正当なものかどうか、自分はその問題に対してどのような意見なのか、という判断を行うためにも”差別問題を咀嚼する”ということが大切だ。何も知らないまま自分とは関係のない問題だと線を引いてしまうのではなく、今何が起こっているのか知ることが自由への第一歩である。
【注】
(※1) lismile.TRANS.Biz.「咀嚼」の意味と使い方とは?類語や小説『こころ』での表現も解説.2021年7月7日
確認.https://biz.trans-suite.jp/59511
(※2) 第 111 回日本精神神経学会学術総会.ナチ時代の患者と障害者たち.2021年7月7日確認.
https://www.dgppn.de/_Resources/Persistent/1b7d75a51a8d79b0d0e5b55533d687a097b08d2e/Broschuere
_Japan.pdf
(※3)『読売新聞』「同性婚訴訟判決「違憲」判断には疑問が残る」2021年7月8日確認 .
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20210319-OYT1T50281/
(※4) Lega-Life Lab.同性婚が日本で認められる見込みは?パートナーシップ制度についても解説.2021 年 7 月 8
日確認.https://www.adire.jp/lega-life-lab/same-sex-marriage301/
(※5) nature ダイジェスト.2021年1月7日.COVID ワクチンの短期開発が今後のワクチン開発にもたらすも
の . Philip Ball . 2021年7月7日確認 . https://www.natureasia.com/jajp/ndigest/v18/n3/COVID%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%9F
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