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1、陰性
11日火曜日の夜。夕食を食べ終わった直後から私の体を悪寒が襲った。どんどんと体が熱くなって、日付が変わる頃には39.7℃を記録。こんな高熱が出るのはインフルエンザにかかってしまった2019年3月以来だったので、かなり辛かった。
翌12日の午前、かかりつけの病院で診て頂いた。もともと症状は発熱だけで、咳・鼻水・喉痛といった風邪症状は全くなく、味覚もあった。しかも受診時には、あれほど高かった熱も37度前後まで下がってきていた。ただし朝からお腹が緩くなりピーピーだったので、先生は「何かの食中毒でしょうね」と診断された。ただし、時期が時期だし100%コロナでないと言い切れないから、ということで、立川のおおきな病院で抗原検査とPCR検査を受けることになった。
抗原検査の結果は、その日の夕方にはお医者様から電話があって「陰性」と伝えられ、一安心。
でも、PCR検査は14日の夜になってようやく電話で「陰性」が伝えられた。正直ほっとした。
12日のお昼、K子さんに立川まで送ってもらって、検査の時間になるまで車で待っているとき、フジテレビの『バイキング』を見ていた。話題は、3回目のワクチン接種に関する政府の対応だった。
かなりいろいろ考えさせられる内容だったので、忘れないうちに書き留めておかなくちゃ!
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2、反復
そのまえに、ウイルスのあらたな変異株が襲来するたび、毎回同じことの反復で、ほとんど何も変わらないように映る政府や都の対応を、私なりにまとめてみた。
その一 海外であらたな変異株が発見される。
その二 識者や野党政治家などが「できるだけ早く入国制限措置を」と提言する。
その三 それにもかかわらず、毎回、入国制限措置は遅れる。
その四 しかも、空港等での検疫体制がザル。(とくにオリンピックの時はひどかった!)
その五 だから、それほど時間を待たずして、国内でも変異株が広がりはじめる。
その六 にもかかわらず、いつまでたっても、いつでもどこでも手軽に検査が受けられる体制は整わないから、毎回、国民に営業や外出の自粛を要請するという「対策」の繰り返し。(終)
感染者数が減っていた総選挙前後の時期は、こんな反復を繰り返すだけの対応から脱するためにも、英知を結集し、検査体制を拡充するための好機だった。けれども、コロナ疲れのせいか、このとても大事な視点が、選挙のホットな争点になることはなかった。
そうしてまたしても時機を逸し、第6の波が、オミクロン株と共にやってきてしまった。
また同じことが繰り返され、お年寄りや基礎疾患のある方の尊い命が危機にさらされるのか・・・。
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3、遅滞
そんな暗澹たる気持ちになっていたので、番組を見ていて、時機を逸したのは、国主導による他の先進国並みの検査体制拡充だけではなくって、第6波前の3回目のワクチン接種の開始時期もだったと知ったとき、〈あちゃ~〉と思わずにはいられなかった。
番組では、その辺の事情を明かしている保坂展人世田谷区長の言葉が紹介されていた(※1)。
「高齢者を守るため、世田谷区では昨年11月5日に『3回目前倒し接種』を厚労省に働きかけました。その後、いったん前倒しが進む状況になるかと思われましたが、11月16日に厚労大臣が、自治体間の競争を避けるとして『勝手な前倒しはできない』とブレーキをかけてしまったのです。本来なら12月から前倒しを加速させられたのに、1カ月、時間を無駄にし、それが今の遅れにつながっています。」
これを受けて、司会の坂上さんが、「自治体間の競争と捉えるのか、打てるところから打っていってもらうのかという考えの違いだけだと俺は思ってたので」と指摘され、〈その通り!〉と思った。さらに、坂上さんに「竹山くん日本特有なのかな~この公平性っていうの」と話を振られたカンニング竹山さんの次の言葉には、もっとつよく〈その通り!〉と思った。
「いやほんとにねくだらないと思うんですよ。前倒しできないわけがないって、できないわけないよって。お前とお前が動いてやったらできるだろって。人が勝手に決めてるだけでしょって話でしょ。」
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4、ケア
私も、大臣にはもっと、いろんな角度から慎重に考えてみてほしかった。
そもそもの事実として、最初のワクチン接種も、自治体によってばらばらだった。
おおきな会場をつくったのはいいものの、なかなか人が集まらないという自治体もあった。
そうかとおもえば、きめ細やかな対応で接種者を増やしていった自治体もあった。
小さな自治体ほど対応は早くできたし、大都会ほど遅れ気味だった。
つまり、自治体によっても、市民ひとりひとりにおいても、接種の拡充や時期はまちまちだった。
だから、準備が整った自治体から、接種を前倒ししていけばよかったのである。
オミクロン株は11月末に判明したのだから(※2)、それ以前の、自治体からの前倒し要請に耳を傾けていれば、先手先手で第6波に対応できていたはずなのだ。
でも、そうした個々の状況に応じた臨機応変の対応が、この国の政府はほんとうに下手だ。
個々の状況に応じて、きめの細かい対応をしていくことを、哲学の世界ではケアの哲学という。
政府の対応には、このケアの思想が本当に足りないなと、いつも歯がゆい思いがする。
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4、正義
いっぽう、前提条件に関係なく、何が何でも公平じゃなければいけないという考えを正義論という。
大臣の対応は、この正義論にもとづいているといえる。条件が整うまでは、どの自治体にもワクチン接種の前倒しを許さない、なぜなら一部の自治体だけで先にワクチンを打てる人が出てきて不公平だからだ、という思想にもとづいている。
でも、この考え方は、正義論のなかでも、萌芽的なレベルの正義論である。なぜなら、正義論の大家ジョン・ロールズにたいするアマルティア・センの批判によって、ほんとうに一人ひとりの公平性を保つためならば、個々人の状況にそくして対応を変えることこそ重要だというのが、いまでは正義論の到達点になっているからである。
センは、たとえ不公平になったとしても、1人ひとりの潜在能力にそくして財の配分の多寡を変えるべきだ、そうでなければ一人一人の権利は実現されないとロールズを批判した。当のロールズも、その批判を受け入れたのだ。一流の研究者って、お互いをリスペクトできてすごい。
センが出しているのは、身体障がい者と健常者との移動の自由の例である。身体障がい者が健常者並みの移動の自由を獲得するには、当然だけれど、その人にあった車いす等が必要だ。でも、そこには明らかに、健常者にはない財の社会的な配分が必要となる。
これは、一見すると不公平だ。でも、QOLの公平性という観点からみると、障がい者に財を優先的に配分するのは不当ではなく、むしろ奨励される。つまり、現在の正義論で公平性というとき、そこには、ひとりひとりの状態に根差した対応が必要だというケアの思想が組み込まれているのだ(※3)。
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5、責任
こうみてくると、大臣の判断は、萌芽的な公平性の論理にこだわるあまり、個々の自治体や市民の状況に応じてというケアの部分を置き去りにし、かえって公平性を損なってしまっているのである。
1回目の接種を早めに行えた自治体が、3回目の接種を前倒しして、何が不公平だろうか?
若くて病気の既往歴のない市民のほうが、お年寄りや基礎疾患をもっている方よりも、いのちを落とす確率は低い。それなのに、お年寄りや病気の方が前倒し接種をしても、なにが不公平だというのだろうか?
こう考えてくると、坂上さんが指摘されているとおり、打てるところからどんどん打っていけるようにすべきだったのだ。現場のことは、前線で働く人たちがいちばんよくわかっているのだから。
こう考えてくると、竹山さんが「人間が勝手に決めているだけ」というとおり、できることをストップしたまま第6波の到来を許した人間の決定は、責任が問われるほど重いものなのだ。
ただ、おふたりが「対応が早かった」と河野前大臣を称揚していたのには、納得がいかない。
だって、昨年の初夏から夏にかけて、自治体に早くワクチン接種を開始しろと急かしたにもかかわらず、自治体がワクチン不足に陥って混乱したのは、5月の段階でワクチンが供給不足に陥るのを知っていたにもかかわらず、それを公表しなかった河野大臣のふるまいにこそあったのだから(※4)。
このあたりの事実は、責任あるメディアとして、きちっと押さえておいてほしかった。
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【注】
(※1)関連する『日刊ゲンダイ』の記事
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/299753
(※2)厚生労働省検疫所のオミクロン株にかんする情報
https://www.forth.go.jp/topics/20211128_00001.html
(※3)このあたりの哲学の詳細については、拙著『人間学・環境学からの解剖――人間はひとりで生きていけるのか』(梓出版社、2010年刊)の第4章に書いています。ただしもう絶版です・・・。
(※4)関連する『日刊ゲンダイ』の記事