~~~~~
1、コロナ対策が徹底されない理由!?
昨日の記事(【コロナ問題と公害との共通性11】)であらためてその重要性を強調した、徹底したコロナ対策こそが経済との両立につながるのではないか、という視点。
なぜそれが、いまだ国レベルで実現できないのだろうか?
弊ブログでその理由をいくつか考察してきたけれど(2020年5月16日記事)、もしかしたら、徹底した検査の結果、感染者がもっといることがわかるとパニックになるかもしれない、という思い込みが政府高官たちの意識にあるのでは?とうがった見方をしてみたりする。
本当は検査したほうがいいとわかってはいるけれど、無症状者を含め多数の感染者が見つかったら、観光業や飲食業が大打撃を受け、経済パニックが起きるかもしれない、という懸念があるのかもしれない。
その気持ちはよくわかるけれど、なんとか我慢をしてもらいながら、補償をしつつ、理性的に乗り越えるには、今回の第3波が、もしかしたらラストチャンスかもしれない。
来年以降に対策を取ろうとしても、本当のパニックになってしまうかもしれない。
そうなる前に、なんとか政策を軌道修正してほしい! 対策は早ければ早いほうがいい。
◇◆◇◆◇
2、福島原発公害
政府がパニックを避けるために、取るべき対策を取らない、という愚。
それはなにも今回のコロナ禍だけではない。弊ブログで紹介してきたように、水俣病などの産業による公害や原子力発電所事故による公害が起こったときの政府も、同じような対応だった。
実際、今回、菅首相をドヤ顔で追及した立憲民主党の枝野幸男代表だって、2011年3月の福島第一原発事故がおこったとき、こう連発していたのだ。
「ただちに人体や健康に影響を及ぼす数値ではない。」
そして、避難する方たちが知るべきSPEEDIの情報を隠蔽した。
その理由は、パニックを避けるためだったという。
だがその結果、多くの方が被曝をした。
飯館村の人たちは、高線量の放射性物質が降り注いでいたにもかかわらず、危険性を認識し避難できたのは5月になってからだった。
◇◆◇◆◇
3、共通する点=パニックを避ける+そのために情報を出さない
2011年当時。私は枝野官房長官の会見を見ながら、怒りに震えていた。
これは、たいへんなことになってしまう、と。
けれども、被曝と健康との因果関係に関する調査は、いまだにきちんとなされていない。
そうした調査や実験をしようとすると、すごい圧力がかかるのだという(このことは別の機会に)。
いまのコロナ禍で。なんら具体的な対策を立てず、自治体に丸投げする政府の対応には、もはや怒りを通り越し、あきれ、あきらめが襲いつつある。
それではいけない。こどもたちに「あのときパパは何をしていたの!」と怒られないようにしなければと、なんとか自らを奮い立たせているのだけれど、歴史に学ばず、科学的な議論が無視される状況は、正直しんどい。
それはともかくとして、パニックを避けるために取るべき対策を取らない、そのために国民が判断するのに必要な情報をきちんと届けないという政府の姿勢もまた、今回のコロナ禍と公害に共通する忌避すべき点として、歴史に残ってしまうのだろうか・・・?
どうか、国民をバカにするのはもうやめてほしい。ちゃんと現状を把握し、正確な情報を届けてもらえれば、きちんと判断し、行動できる。それが日本のよさのはずなのだから。