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1、説明がまだでした!
弊ブログのこのカテゴリー【公共事業と生活】の第1回目は、調布市で道路の陥没事故が起こった翌々日の2020年10月19日に立ち上げました。
この日の記事で、実習で一学生たちと緒にお邪魔した場所のすぐ近くが陥没した、と書きましたが、思い返してみると、いったいどういう実習をしているのか、説明がまだできていませんでした。
そうこうするうちに、年が明け、実習で毎年たいへんお世話になっている調布市若葉町在住の大村哲夫さんから、新年のご挨拶をいただきました。
今日は、これを機に、調布市でどのような実習を実施しているのか、記しておきたいと思います。
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2,若葉の森
陥没事故が起こった地域には、多摩川が削り取った河岸段丘の国分寺崖線があります。その一部には、若葉の森という貴重な都市の森が残っています。
この地域の自然を気に入った武者小路実篤が、この森の麓で晩年を過ごしたことでも知られています。
武者小路実篤記念館には、段丘上の畑からしみ込んだ雨水が地下水となり、斜面から湧き出てつくった池があるのですが、実篤が暮らしていた当時はまだ、入間川の両側にそうした湧水を水源とする田んぼが広がっていて、いまのような住宅街になってはいなかったそうです。
そういう時代の1963年に策定された都市計画では、若葉の森を貫くルートでの道路計画線が、官僚たちの手によって引かれました。それから40年以上の歳月がすぎた2007年12月、その計画を事業化して 道路建設を始めるという住民説明会が、とつぜん開かれたのです。
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3,実習で学ばせて頂いていること
若葉の森を愛している地域の方がたにとっては、寝耳に水。そこで、住民有志のみなさんが、この時代に一方的な決め方をされるのはおかしいと「国分寺外線の緑を守り、調布3・4・10号線を考える会」を立ち上げ、調布市と10回にわたり協議を続けてこられました。
その結果、いまでは若葉の森を貫く道路建設は凍結状態になっています。また、当初はぶつかりあっていた会の一部のメンバーと調布市とが、いまでは市内の環境保全のために、協力関係を結ぶまでになっています。
私は、こうした動きに、住民と行政とが一緒になって公共事業を考える萌芽があると思っています。
【参考】運動の成り立ちとその後の経過については、拙共著書(2016)『リアル世界をあきらめない――この社会は変わらないと思っているあなたに』第4章「環境へのマニフェスト」(はるか書房)参照。
そこで実習では、都市の森がある意味をさまざまな角度から考えるために、若葉の森を保全されている方がたの運動に学びつつ、話し合って政策を進めることの重要性を、学生とともに考えています。
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4,驚きの大村さんの体験
この実習を実施する際、大村さんには、道路計画を現場で知るために街をご案内頂いたあと、レクチャーまでして頂いているので、毎年たいへんお世話になっているというわけです。
そんな大村哲夫さんから頂いた新年のごあいさつに、陥没事故にかんするネクスコ東日本の説明会で大村さんが遭遇した出来事と、そこから大村さんが考察されたことが書かれていました。その文面を拝読したとき、〈21世紀の「先進国」日本でこんなことが起こっているのか!〉と愕然としました。
公害とコロナ禍との共通点を探ってきた弊ブログとしては、いろいろ考えさせられ、たいへん興味深い内容なので、大村さんにお許し頂き、一部を修正したうえで、ごあいさつの文面を掲載させて頂くことになりました。大村さん、転載をご快諾頂き、本当にありがとうございます!
長くなってしまったので、お手紙の紹介とその内容から考えたことについては、明日から順にUPしていきます。