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4、いのちが軽く扱われた戦争
国民のいのちが軽んじられている、という点からいえば、戦争中も同じだった。
防空法ができた結果、都市住民は、避難するよりも消火活動をするよう強制され、多くの人がいのちを落とした。兵員も装備もうしなうのだから、軍略上もけっして褒められたものではない特攻作戦を進め、多くの若いいのちが奪われた。
オリンピック計画に対抗するため、国民は爆弾をもった戦車への特攻すらも強要されようとしていた。しまいには、小学生、中学生ですら、志願すれば兵員になることができる法律を制定した。
兵隊ですら、不十分な装備で戦うことを余儀なくされた。なんの番組だったか忘れたけれど、零戦で空戦を潜り抜けた元日本軍兵士の方が、アメリカ軍の戦闘機に機銃を当てて「やった!」と思ったのに、なかなか撃墜できなかったと証言されていた。その理由は、兵員と装備をなるべく失わないようにと、米軍機の燃料タンクがゴムで守られていたのが理由だった。
戦時中、政府からみれば、おそらくは敵軍への盾として捉えられていたのであろう国民のいのち。
その重みは、いまよりもずっと軽かった。
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5、いのちが軽く扱われる、という共通点
それから70年以上の歳月がながれた。国民が主権をもつ国家となった。生存権も保障された。
にもかかわらず、戦時中と変わらない不十分な補償で、不十分な対策で、多くのいのちが失われている。そして今後も失われようとしている。月曜夜の『NEWS23』では、勤務先の飲食チェーン店が倒産し、日常生活が破壊され、路上生活を余儀なくされた31歳男性の声が紹介されていた。
外交の失敗という人災により始まった戦争で、多くの人が仕事を失い、食からあぶれ、攻撃され、住処を追われ、いのちをうしなった。
政府のコロナ対応失敗という人災によって、多くの人が職を追われ、食からあぶれ、住処を失いかねない時代が、再現されようとしている。
【参考】「生活困窮者支援の実務者が口を揃えて訴える #麻生さん一律給付は必要です」『田中龍作ジャーナル』2021年1月20日記事
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6、いのちの軽重の格差は存在するのか?
この国では、有事になると、一般国民のいのちを軽く扱うという共通点があるようで、悲しくなる。
一方、与党の国会議員は、多くの一般国民が入院はおろかPCR検査すらままならない状況にある中で、感染者であることが分かったとたん、無症状にもかかわらず入院している。
いのちを落とした一般の方がたが従ったルールと同じように、きちんと保健所を介して入院したのだろうか? だとしたら、そんなに早く入院することって出来るのだろうか? あまり使いたくない表現だけど「上級国民」は特別扱いされるという都市伝説は、もしかして真実なのだろうか?
もしも、法の下の平等が形がい化し、いのちの重みにすでに差がつけられているのだとしたら、激しい怒りを覚えずにはいられない。