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1、本土空襲=人類初の所業が生んだ人災
竹やりの精神で、勝てる見込みのない泥沼の戦争に突入していった戦時中の日本。
泥沼化した理由のひとつに、民間人も無差別に空襲を受けたという現実があった。
ところで、なぜ、米軍は、日本本土への無差別爆撃を繰り返したのだろうか?
それは、日本が人類史上はじめて、外国の都市への無差別爆撃を行ったからである。
昨日紹介したNHKスペシャル『本土空襲 全記録』でも分析されていたのだけれども、日中戦争で徹底抗戦する中国の拠点(国民政府)が置かれた重慶を、日本は徹底的に空爆し、一般市民を含む多くの犠牲をだした。
その結果、日本の民間人も爆撃されて当然、という意識を連合国側に生んでしまった。
さらに、昨日紹介した通り、終戦間際には、小学生まで兵員になれるようにしたり、学徒動員や勤労動員で国民を軍需工場や基地造成等の労働に従事させたりした政略が、米軍の公式文書に「日本に純粋な民間人など存在しない」といわしめ、無差別爆撃が正当化された。
つまり、少なくとも45万9564人もの尊いいのちが奪われた本土空襲は、人類初の他国への無差別爆撃を敢行し、自国民のいのちをも軍備のひとつであるかのように扱った政策の結果としての、人災だった。
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2、国による拡充がされなかった検査・医療体制
まだ詳しい発生要因は確定されていないけれど、野生動物との接触が原因である可能性が高いコロナ禍は、戦争と違い、人災ではない。けれども、感染拡大後にかぎってみれば、対策が功を奏した国や地域が複数ある以上、感染者数や死亡者数が増加しても有効な対策が打てずに抑えらない場合は、人災としての側面が大きくなると思う。
とくに日本の場合、これまでも何度か指摘してきた通り、市中感染が拡がり、クラスター対策だけではどうしようもない局面に至ってもなお、できるだけ多くの市民に検査に協力してもらい、無症状感染者を隔離することで感染源を断つという徹底した対策をとらずにいる。
しかも、検査数を増やせばそのぶん感染者が多く見つかり、かえって医療崩壊につながるからよくないという、なぜか日本で跋扈する見解を、どうやら政府が採用し続けているらしく、いっこうに検査体制は拡充されなかった。いざというときに備えた医療体制の整備も地域任せだった。
【参考】牧田寛さん「日本医師会にも棄却された「検査をすると患者が増える」エセ医療・エセ科学デマゴギー」『ハーバー・ビジネス・オンライン』2020年7月28日
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3、コロナ禍での死者数増加=日本モデルへの固執が生んだ人災
そうして検査を抑制し、保健所が患者と病院とをつなぐ仕組みをとり続けた結果、第3波の真っただ中にある現在、むしろかえって医療崩壊の危機に瀕する結果となっている。
海外のように、いざというときに備えた治療施設の新規拡充をしなかったために、自宅待機せざるをえない無症状感染者のなかから、容体が急変し、医療につなげられず死亡する人が後を絶たない状況に陥っている。昨夜の『ニュース23』によると、入院できずに亡くなった感染者数は1月だけで75名に上るという。
それどころか、金沢大学の高橋准教授、立憲民主党の羽田参議院議員のように、PCR検査を満足に受けることができずに亡くなるかたが、この期に及んでなお出てきてしまうという現実・・・。
このように、海外では当たり前の対策を取らずにいのちがどんどん失われている現状は、クラスター感染対策と検査抑制策を前提する、おそらく世界でわが国しか採用していないモデルに政府が固執した結果として生みだされた人災ではないのか。そう思えてならないのである。
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4、人災として共通する本土空襲とコロナ禍
6月8日に感染者がゼロになったものの、その102日後に再び感染者が出た段階で都市封鎖(オークランドのロックダウン)を行い、いまでは年末のイベントができるほどの日常を取り戻したニュージーランド。この時のロックダウンは、感染者が4名だけ出たときという、恐るべき迅速さだった。
【参考】「感染者4人で再封鎖『ニュージーランド』の凄み」『東洋経済オンライン』(2020年8月20日)
https://toyokeizai.net/articles/-/370036/
このような先進事例があるにもかかわらず、世界で類を見ないモデルに固執し続け、感染の収束が見えなくなっている、日本でのコロナ禍。
人類初の非人道的な行為が、自国にブーメランの如くはね返ってきた悲劇としての、本土空襲。
どちらも、政府が、いのちの重みを重視しているとはいえない偏ったやり方に固執した結果、多くの国民がいのちを奪われた人災だという点で、共通している。