1、水俣病を科学的に解明した高名な研究者の述懐
2004年10月に下された、水俣病関西訴訟の最高裁判決。
最高裁は、水俣病の原因がメチル水銀であると認定、国と熊本県には責任があると判断した。
原告である、水俣病患者さんたちの勝訴の瞬間だった。
ただし、水質二法(水質保全法、工場排水規制法)が制定された1958年以前に、水俣から関西に移住した患者さんへの責任は認められなかったから、全面勝訴とはいえない。
そうした問題点があるけれども、水俣病の原因がメチル水銀であると認定された判決の影響は大きい。
今日、注目したいのは、その根拠となる研究を成し遂げられた西村肇さん(東京大学名誉教授)が、『水俣病の科学』(岡本達明さんとの共著、日本評論社、2001年刊)の「あとがき」で語っている述懐である。
なぜなら、そこでの述懐はまさに、学問の自由と独立の重要性につながる大切な視点を提起されているからである。
どういうことか?
以下、西村さんの述懐を紹介しながら考えてみたい(引用は『水俣病の科学』328~332頁)。
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2、プロセス工学理論の完成から学生と共同の研究へ
東大の助手だった西村さんは、1962年から5年間、プロセス工学の研究に没頭し、ついに1968年の3月、著書の原稿を完成された。
1968年と言えば、学生運動が吹き荒れた時代で、西村さんも研究室の学生から突き上げにあった。
完成したプロセス工学の理論を研究するのは嫌だ、自分たちも創造的な研究がしたい。
学生たちのそうした声に真摯に向き合い、対話を重ねた西村さんは、プロセス工学理論を公害問題に応用する研究を始める。水俣へ行き、メチル水銀の影響も研究し始めた。
1970年にたちあげた、全学の学生が参加できる「環境問題研究法入門」という授業では、学部生から博士課程生までがまったく対等な立場で研究に取り組んだのだという。
そうして西村さんは、『裁かれる自動車』(中公新書、1976年)を上梓するなど、公害問題に対する発信を強めていった。
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3、強い圧力
ところが、そんな西村さんの研究を、産業界は快く思っていなかった。
1978年、それは起こった。
西村さんによれば、大学に対してかなり強い圧力がかかり、「私が全く知らない間に、私を関西の小さな大学に移すことで話がまとまった」のだという。そして、大学から話を聞いた恩師から呼び出され、西村さんは「公害の研究はそろそろおしまいにしなさい。皆さんが困っている」といわれた(331頁)。
公害の研究をやめなければ、東大には残れない。
恩師の言葉に対し、西村さんは「『わかりました』と言うか、『公害の研究をやめるつもりはありません』と言うか、一瞬のうちに」答えなければならなかった(331頁)。
西村さんは、30秒ほどの黙考のあと、「わかりました」と答えた。その理由を以下のように記されている。
「私は、自分で科学の謎に挑戦し、発見の興奮を味わっているときにだけ、ほんとうに充実感が味わえる人間だということも自覚していたからです。私から科学でのドンキホーテ的挑戦を取り除いたら私でなくなる、生きている意味がないと感じました。それが、私が『わかりました』と答えた一番大きい理由です。」(332頁)
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4、水俣病研究の再開
こうして、西村さんは公害の研究を断念せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
その後は「免疫の遺伝子工学」に挑戦され、成功を収められた。
ただし、その間、水俣病の研究は中断せざるを得なかった。
そこで、1993年に定年退職された後は、「自由を確保するため」(332頁)、どこにも勤めることなく研究を始められた。
その理由を、西村さんは次のように述懐されている。
「その最も大きな理由は、残念ながら中断になったこの水俣病メチル水銀の謎を解くことにあったのです」(332頁)。
こうして水俣病のメカニズムに関する研究が再開され、その成果が、2004年の関西訴訟判決の原告勝訴を後押しする結果となった。
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5、圧力がなければ。
もし、西村さんに対する圧力が無ければ、公害の研究が中断されることはなかった。
そうすれば、もっと早く水俣病のメカニズムが西村さんによって解明されていたかもしれない。
そうなると、1995年の政治決着のような茶番もせずにすみ、水俣病の患者さんたちは、もっと早く、きちんとした補償が受けられたかもしれない。
もちろん、これは可能性の話にすぎないけれど、西村さんのご業績に照らせば、そうなっていた蓋然性は極めて高い(※)。
だとすれば、西村さんが「強かった」と感じられた産業界からの圧力があったからこそ、患者さんたちの救済が遅れたということになる。
圧力さえなければ。
もっと違った水俣病事件の解決の道が、あり得たはずだった。
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6、誰にでも、起こりうる話。
有毒な物質が食べ物を汚染し、多くの人が身体を蝕まれる事件は、今後も起きる可能性はある。
強調したいのは、そうした事件は、誰にだって降りかかる可能性があるという点である。
もしも、自分がそうした仕打ちを受けたとき、真相を究明しなければと行動し始めた科学者が、圧力によって黙らされたら、みなさんはどう思うだろうか?
きっと、不当な圧力により、自分のいのちが守られる機会が失われた、自分の体の不調の原因を究明してくれる人が黙らされた、と思わずにはいられないだろう。
そう考えてみると、西村さんの述懐は、学問の自由が、学問の独立が、私たちの生活やいのちの維持にとっていかに重要かを示す、重大な指摘だと思うのだ。
だからこそ、学問の自由は、時の権力に侵されてはならない。
【注】
(※)「可能性」と「蓋然性」の違いについて、説明しておきたい。「可能性」は、五分五分、そうもなりえたという意味合いである。「蓋然性」は、起こりえた可能性が70~80%くらいのことを指す。