◆たいへんな土砂の撤去作業
7月の豪雨災害の被災地をテレビで見ていて心が痛んだのは、多くの街が土砂で埋もれたことだった。土砂の撤去作業は、いかに大変か。住民のみなさんとボランティアの方がたの奮闘が、日々ニュースで取り上げられた。一部の被災地ではいまも、土砂の撤去作業は終わっていないという。
もう18年も前の話だけれど、一度だけ、河川の氾濫により床上浸水したお宅の土砂搬出作業、清掃作業をお手伝いしたことがある。
まず、水にぬれてしまった家財道具を、家主さんの指示により、まだ使うもの、廃棄するものと選り分けていく。家財道具の搬出作業がひと段落したら、今度は畳を廃棄するため、家の外に搬出する。そのあと、床板の上に残っている土砂をホースの水で流し、デッキブラシでゴシゴシと洗い流していく。最後に雑巾がけをして、作業は完了だ。
文章にするとほんの数行だけれど、実際には1軒当たり5人くらいで1日かかる、大仕事だった。とくに、泥水を含んで重くなった畳を運ぶのは、とにかくきつかったのを覚えている。
◆薩摩藩の治水の失敗
私がお手伝いしたのは、郷里の鹿児島市内を流れる、ある川のすぐそばのお宅だった。その川は、毎年のように氾濫する川である。ただ、床上浸水までするのは、そう多くはなかった。
日本史の先生に聞いた話なのだけれど、その地域が浸水被害によく遭ってしまうのには理由があるらしい。江戸時代。薩摩藩が、ほんらい蛇行していたその川を、治水工事によってまっすぐにしてしまったから、らしいのだ。
川をまっすぐにしてしまえば、たくさん雨が降ったときでも、水が一気に鹿児島(錦江)湾まで流れ着くだろう。そうすれば、河川の氾濫による街中の被害を防げるのではないか・・・薩摩藩はそう思ったらしい。
たしかに、イメージ的には、砂山から水を流した時のように、一直線の川のほうが水をすぐ流せるように直感してしまいそうだ。けれども、川が蛇行しているほうが、より多くの水を受け止めることができるので、氾濫の防止につながることがいまではわかっている。
◆ふたたび、治水の思想
薩摩藩の失敗からも、治水の思想がいかに大事かかがわかる。
梅雨の時期の南九州は、夏に近づけば近づくほど、まさに「バケツの水をこぼしたような」という表現がふさわしい、滝のような雨がしょっちゅう降る。だから、一気に水を海に流せばいいんだという考えになったのも理解できる。
でも、河川が受け止められる水の量の限界を超えたとき、ふさわしいのはやはり、7月31日の拙ブログ記事「【災害から考える2】治水のありかた再考」でも書いたけれど、川からあふれそうな水をいかに逃がし、最小限の被害だけで受け止めるか、という治水の思想なのだろう。
東京に来てから、弘前に住んでいた期間も含めて16年。鹿児島ではふつうだった滝のような雨には、めったにお目にかからなかった。けれど、ここ数年は、時折そのような雨に遭遇する。毎年、いろんなところで記録的な豪雨が降る。治水の思想の転換が、いまこそ必要なのではないだろうか。