「水俣食中毒特別部会」が解散させられたいきさつについては、今回の専門家会議の廃止と共通する点が浮き彫りになって、興味深い。そこで、きのうのブログで予告していた通り、そのいきさつについて書かれている、水俣病熊本訴訟弁護団の一員で弁護をされていた干場茂勝さんのご著書から、該当部分を抜粋したい。
(以下、千場茂勝さんの『沈黙の海 水俣病弁護団長のたたかい』より引用)
食品衛生調査会は厚生大臣の諮問機関で、その常任委員会が東京・日比谷の松本楼というところでよく開かれていた。その調査会の他に、通産省、水産庁、経企庁、厚生省の四省庁で構成される「水俣食中毒対策にかんする各省連絡会議」というのがあり、答申の前日に会合があった。しかし、会議の出席者は水俣病について全くの素人ばかりで、何も意見を述べられるような人はいなかった。通産省の軽工業局は鰐淵氏が有機水銀説を出すと、「通産省では爆薬説とかアミン説を取り上げている。通産大臣はこれをもって議会に説明する」と発言した。そういう考えでは各省連絡会をもつ意味がないと思って退席しかけた。
答申を出すその日、厚生省食品衛生課長が鰐淵氏の宿泊する旅館を訪れた。そして、次のようなやり取りが交わされた。
「明日、どのような答申をするのか」「それは言えない」「それでは大臣に会ってくれ」「答申する前は誰にも会えない」「どういう結論か知らないが、魚に毒があると言ってほしい」「魚は日本中にいる。そんなことはできない」「では、有明海の魚が有毒だと」「それはいかん」
鰐淵氏は厚生大臣に「水俣湾およびその周辺に生息する魚介類を多量に摂取することによって起こる、主として、中枢神経系統の障害される中毒性疾患であり、その主因をなすものは、ある種の有機水銀化合物である」という答申を出す。だが、その答申内容は「工場の排水から直接、有機水銀を検出していない」という理由だけで、工場との関係が否定されたので、水俣病と工場がまったく関係ないようになってしまった。そのことに鰐淵氏は不満がいっぱいだった。
以上のような内容から、 厚生省が何とか因果関係を隠ぺいしようとしたことは明らかとなるが、さらに、以下の尋問の内容から、各省連絡会議にはもともと水俣病の原因を究明して、その発生拡大を防ごうという意思がなかったことや、厚生省が水俣食中毒特別部会を解散させることで水俣病とチッソ水俣工場との関係を遮断したことが浮き彫りにされたのだ。
(問)答申は11月12日ですが、その翌13日厚生省に証人は呼ばれましたか?
(答)来いと言ったから行きました。
(問)誰とお会いになりましたか。
(答)高野課長でしたね。聖城君(公衆衛生局環境衛生部長のこと)にも会うたかもしれません。
(問)どんなことでしたか、要件は。
(答)水俣食中毒特別部会は今日で解散しますからということでした。
(問)解散ということについて、証人にとっては予想外でしたか、それともそうだと思っておりましたか。
(答)予想外ですよ。私たちは各省連絡会議を開いて今後、患者の処置とか漁獲の禁止ということについて政府の意見を借りて、この害を除こうという意思で研究しているんですから、それを単なるああいう答申でぶち切られたんじゃ非常に不満で、今後どうするのかと聞いたけれども、それは言わないんです。
(問)なぜ解散するのかということを聞きませんでしたか。
(答)そりゃ聞かなかったですね。
(問)どうして。
(答)今まで主張して委員を続けてもこういう相手では仕方がないと思いましたね、意思がなければ。
~中略~
(問)証人はこの特別部会を続けたい気持ちはありましたか。
(答)それは続くんだろうと思っておりましたね、私は。
(問)続けて後、どういう問題が残っていたんでしょうか。
(答)やっぱり、工場の排水とか、あるいは工場内の物質から有機水銀を証明するまではという・・・。現に続けておってそれが証明されたんですからね。
(問)二つのことで、一つは工場排水の実験ですか、一つは無機水銀の有機水銀化の過程の解明ですか、その研究をしたかったと。
(答)はい、そうです。
(問)その解散させられた当時は記録によりますと、患者はどんどん発生したようですが、違いますか。
(答)どんどん発生しておりました。
その尋問では鰐淵氏は怒りに震えて証言。裁判官は熱心に耳を傾けていた。(※)
(以上、引用終わり)
【注】
(※)干場茂勝(2003)『沈黙の海 水俣病弁護団長のたたかい』中央公論新社、216~220頁。