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ものぐさ講師の徒然日記

窓際大学教員が、日々の暮らしで感じたことを、徒然なるままに綴っています(日・木曜日に更新)

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【メディアの問題3】切り取られた「リアリティー」

Posted on 2020年5月31日2020年7月2日 by monogusalecturer2021

◆ちゃんもも◎さんの指摘

 『AERA dot.』の「木村花さん出演の「テラスハウス」 元出演者が“やらせ疑惑”について実名告白」(5月29日)という記事で、2012年に「テラスハウス」に出演していたちゃんもも◎さんの興味深い指摘が掲載されていた(※1)。それによると、カメラにあわせた位置に入るよう指示される以外には、演出はなかったのだという。一昨日みた『NEWSポストセブン』の記事では、現役スタッフが今シーズンから方針を変えて泥臭さを映すようになっていたと告白されているから、木村花さんが、大事なコスチュームが洗濯されて縮んでしまったのに怒り、男性出演者に手を挙げたというような類の演出は、2012年当時にはなかったのかもしれない。

ただ『AERA dot.』の記事では、木村さんと出演していた新野俊幸さんの「演出はなかった」という声も紹介されているから、木村さんの怒りはナチュラルなものだったのかもしれない。

 けれど、いずれにしたって、木村花さんが誹謗中傷されていい理由にはならない。今日は、そう思う理由について書いてみたい。

◆光の当たるリアル、影となるリアル

 報道でたくさん紹介されている、木村花さんを長年みてきた先輩諸氏や記者の方の思い出によると、花さんは、他者を思いやる、やさしい性格だったのだという。番組で流されていないシーンで、木村花さんは、いつも声をかけてくれるやさしい人で、和気あいあいとした雰囲気だったという出演者からの声も上がっている。

でも、番組では、件のコスチューム洗濯事件がクローズアップされた。ここで強調したいのは、この事件は、あくまでも、膨大に撮られている映像の一部を切り取ったものにすぎない、ということである。

なんでもいい。暗いところで懐中電灯をその物体にあててみて欲しい。光が当たるところは見えるけれど、影の部分は見えない。これと同じで、コスチューム洗濯事件に光を当てれば、普段は出演者どうしで和気あいあいとしていたという事実、木村さんがとても配慮ある人だという事実が、影になってしまう。でも、どちらもテラスハウス内での現実、リアルである。

◆カオスに秩序を与えたものとしての「リアル」

ここで注目したいのが、哲学者カントの指摘である。カントは、『純粋理性批判』という著書の中で、一見すると科学的に完全に分析できるように思える自然界の存在(動物・植物・鉱石などなど)でさえ、すべて理解できると考えてはならないという戒めの言葉を残している。さらにカントは指摘する。実際には、自然界はカオスなのだ、と。そのカオスのなかで、私たちからみて秩序だっているようにみえるところに、法則をあてはめたり、因果関係を見出したりしているだけなのだと。

ちょっと難しい話なので、テラスハウスを例にカントの指摘について考えてみたい。

制作者の手元には、喜怒哀楽、あるいは平凡に思える時間もすべて記録された、共同生活の内実についてのかなり長い映像記録が、部屋ごとに保管されているはずである。本当の「リアリティー」ショーであるというなら、これを全て視聴者に届けなければウソになってしまう。影の部分が見えなくなってしまうのだから。

けれど、いざそのように何も編集されない何十時間・何百時間にもわたる映像が、ただたんに画面上で流れているだけだったとしたら、視聴者はどう思うだろうか。まさにカオスで、見るのもうんざりするだろう。だから、番組の製作者は、何十時間にもわたる映像の中から、いくつかの出来事をピックアップして、筋の通る短時間の記録として編集しなければならない。つまり、そのままではカオスな長時間の映像群に、製作者は、編集という仕方で、秩序を与えているのだ。コスチューム洗濯事件に光をあてた回も、こうして出来上がったわけである。

◆製作者の意図が介在する「リアル」

だから、どんなドキュメンタリー番組であっても、そこには必ず製作者の意図が介在する。

事件に光が当たったおかげで影の部分になってしまったけれど、木村さんの優しい性格にフォーカスした番組作りだって、製作者には可能だったはずである。私個人としては、プロレスで悪役を演じている花さんが、実際にはやさしく配慮のある人だった、というギャップを視聴者に与える編集もありえたと思う。けれど、制作者サイドはそうしなかった。

このように、起こっている現実をどう切り取って見せるかで、第三者に与える印象は180度逆になる。だから、「リアリティー」ショーのリアリティーは、疑ってみるべきだと私は思っている。

じっさい、ヒール役のプロレスラーだった花さんには、そのイメージ通りの立ち回りが期待されていたのではないだろうか。それを受けて、木村さんは、カメラが回っていれば、たとえ演出が無くとも、そのイメージを壊さぬようふるまっていらしたのかもしれない。このように、自分が与えられた立場や関係のなかで、期待された通りに行動するのを、心理学では役割期待という。親を傷つけないよういい子でいようと自分をゴマかし、疲れてしまった、といったような経験は、まさにこれである。木村さんは、ヒール役のプロレスラーとしての役割期待を背負ってしまわれていたのかもしれない。そして、事件のその後が2回にわたって放映されるという番組編成も手伝って、SNS上での誹謗中傷とほんとうの自分とのギャップに悩み、疲れてしまわれたのかもしれない。ほんとうに無念でならない。

◆人間だもの。

週末だけとはいえ、共同生活をしていたら、和気あいあいとした雰囲気だけではなくて、怒りもわくだろうし、泣きたくもなるだろうし、イライラすることだってあると思う。ましてや、自分のいのちの次に大事だというコスチュームが縮んでいれば、それは頭にくると思う。だって、人間なのだから。

 手をあげてしまったのは、確かに良くなかったかもしれない。でも、よかれと思って洗ってくれたのだと知って謝罪されたのではないか、と勝手ながら予想している。人間って、そうやっていろんな山や谷を一緒に越えて、きずなが深まっていく生き物なのだし、配慮の人である木村花さんが、そのことを分かっていないはずはなかっただろうから。

もしも制作サイドが、そうしたところまで放送してくれていれば、或いは、木村さんのやさしさ溢れるシーンをたくさん放送してくれていれば、おそらく、誹謗中傷の嵐は起きなかっただろう。

もしも視聴者が、リアリティー番組と言ったって、一部分が切り取られ編集されたものにすぎない、放送されない部分のほうが圧倒的に多いのだ、というメディア・リテラシーをもっていたら、誹謗中傷しようという気も起こらなかっただろう。

私たちは人間。神や仏や仙人ではない。喜怒哀楽をもっている。人を傷つけることもある。だから、木村花さんに「もっとこうした方がよかったんじゃない?」ということはできるとしても、誹謗中傷する資格がある人は、この世界には存在しないと思う。木村花さんを責めることができるのは、ただ一人、手をあげられた男性だけである。

切り取られた「リアリティー」であるはずの映像に、もしも憤慨してしまっている自分がいたら、影になっている違った角度の事実もあるのだ、という重大な事実を思い出すようにしたい。

【注】

(※1)記事URL https://dot.asahi.com/dot/2020052800063.html?page=1

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