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ものぐさ講師の徒然日記

窓際大学教員が、日々の暮らしで感じたことを、徒然なるままに綴っています(日・木曜日に更新)

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【コロナ問題と公害との共通性3】 被害を矮小化しなければならない大義

Posted on 2020年5月16日2020年10月28日 by monogusalecturer2021

◆公害被害を矮小化してでも守りたい「大義」がある!?

公害被害に対する、これまでの行政の姿勢からみて、被害を矮小化したい理由として推測できるのは、自分たちがなるべく賠償をしたくない、あるいは企業に賠償させたくない、という昨日書いたものがある。けれど、それだけではない。公害の歴史を顧みると、被害を矮小化してでも守るべき「大義」の存在もまた、垣間見える。

水俣病のとき、政府が守ろうとしたのは高度経済成長だったと言われている。チッソは、高度成長を支える企業だった。高度成長を支えただけでなく、いまでも工業製品の製造には欠かせない塩化ビニール。チッソは、その塩化ビニールの可塑剤をつくる大手メーカーだったのである。そのため、チッソの排水を停止すべきか否かが閣議で議論になったとき、ときの通産大臣だった故・池田勇人氏が「チッソの排水は時期尚早!」と一喝、話はなくなったという歴史がある。

福島原発公害の場合、ときの民主党政権も推進していた「原発ルネッサンス」という「大義」を捨てきれなかったのが、被害を矮小化しようとした大きな要因だったのではないか、と推察される。

◆コロナ禍を過小評価せざるをえない「大義」

この、被害を矮小化してでも守りたい「大義」が垣間見える点もまた、コロナ問題と公害との共通点のひとつとして挙げられる。

コロナ禍の場合、被害を小さくみせたいいくつかの「大義」が噂されている。

1つめは、インバウンド効果を狙ったアベノミクスを縮小させたくない、という「大義」。これがおそらく、入国規制の判断を誤らせる原因になってしまった。

2つめは、東京オリンピックという「大義」。「景気浮揚策の目玉でもあるオリンピックは、なんとしてでも開催しなければならない」・・・そういう強い権力の意志を感じた。だからこそ、いくら都のコロナ対応が批判されても、まったく顔を見せなかった都知事が、延期の決定後に突如として「ロックダウンの可能性」という掛け声とともに現れたのではないか、と巷間でまことしやかに囁かれているのは、周知のとおりである。

このふたつは、推測される「大義」のなかで、もっとも説得力(?)ある部類に入る。

◆教訓:対策が早いほど、被害の拡大は防げる

ここでもうひとつ、公害問題から学べることを記しておかなければならない。賠償額を減らしたい、「大義」を守りたい、という理由により、被害を矮小化しようとすればするほど、事態はかえって悪くなる、という歴史的事実である。

水俣病は、ほんとうなら、水俣湾産魚介類の摂食が原因の食中毒事件だった。しかし、国の圧力に屈した熊本県も水俣市も、食品衛生法を発動しなかった。さらに、国は、高度経済成長を支えるチッソの稼働を優先し、有毒な排水の流出を12年間も放置した。その結果、企業単体ではすべての被害者に賠償できないほどにまで、被害を大きくしてしまった。

福島原発公害は、野党の、あるいは市民団体の危ないという声に耳を傾けず、頑として対策を取らなかった政府と東電が引き起こした。結果、おおくの人から故郷を奪い、こちらも一企業ではとても賠償しきれないほどの被害を出した。結果、東電は半ば国営企業となった。

この事実に照らしてみたとき、得られる教訓がある。それは、矮小化しようとするのとは逆に、むしろ早いうちに対策を講じたほうが、それだけ損害は少なくて済むし、賠償も少なくて済むのだ、という教訓である。被害を矮小化しようとすればするほど、水俣病や福島原発公害のように、むしろあとで手痛いしっぺ返しを受ける。それが、公害の歴史の重要な教訓である。

◆一刻も早い、科学に基づく感染防止対策と、十分な経済補償を!

それはコロナ禍も同じである。対策を迅速に講じた方が、コロナ禍の収束は早まるかもしれないし、経済へのダメージも低減できるかもしれない。それがひいては、政府がどうも払いたくないらしい補償の金額をも、少なくしてくれるだろう。

パンデミックを避けるには、できる限り自宅で待機しなければならない。けれども自宅待機は、多くの人から仕事を奪う。だから、補償を出し渋れば出し渋るほど、みんな仕事を再開せざるを得なくなる。そうして人が街に繰り出すと、感染は止められず、コロナ禍は長引く。でも、コロナ禍が長引けば長引くほど、二進も三進もいかない人たちが多くなる。結果、そのぶんだけ経済の回復は遅くなる。

だから、自宅待機の要請と補償とは、一体でなければならない。どちらも迅速さが必須となる。

それにもかかわらず、責任ある立場にあるはずの人たちの言葉として聞こえてくるのは、「直接補償はなじまない」、「もたない企業はつぶす」、「国民がいて国家があるわけではない」といった、信じられない言葉だった。補償の仕組みも、できるだけみんなで支え合おうという設計にはなっていない。

いまは緊急事態である。責任ある立場の方たちには、自らの政治信条をどうかいったん横に置いてもらいたい。そして公害の教訓を生かし、予測される未来を先回りして回避しうるような、迅速な対策を講じて欲しい。苦しんでいるのは、こういうときのため、まじめに納税してきた国民なのだから。

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