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ものぐさ講師の徒然日記

窓際大学教員が、日々の暮らしで感じたことを、徒然なるままに綴っています(日・木曜日に更新)

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【法の問題5】「緊急事態条項」について考える⑤ 非常事態下のナチスドイツで起こった虐殺(2) そんな法律さえなければ・・・

Posted on 2020年5月7日2020年5月17日 by monogusalecturer2021

◆フォン・ガーレン大司教の説教

そしてやっぱり、T4作戦はおかしいと思う人たちはたくさんいた。番組によると、家族が殺害されたという信者の声を聴き、公然とナチスを非難した聖職者がいた。カトリックのフォン・ガーレン大司教だ。彼は、ミュンスターのランベルティ教会で、次のように語ったという。

「行われていることは、障害者を救済するという恵みの死ではなく,単なる殺害だ。」

「貧しい人、病人、非生産的な人、いてあたりまえだ。私たちは、他者から生産的であると認められたときだけ生きる権利があるというのか。非生産的な市民を殺していいという原則ができ、実行されるならば、我々が老いて弱ったとき、我々も殺されるだろう。非生産的な市民を殺してもよいとするならば、今、弱者として標的にされている精神病者だけでなく、非生産的な人、病人、傷病兵、仕事で身体が不自由になった人すべて、老いて弱ったときの私たち全てを、殺すことが許されるだろう。」(※1)

いまでもまったく色あせることのない名文! 心の底から震えがくる。

◆止まらなかった虐殺

司教の原稿は、信徒たちによって次々と書き写され、都市の防空壕の中に隠れている人たちのところにまで広がっていったのだという。そのような動きを察知し、非難の高まりを恐れたナチ政権は、司教の説教からわずか20日後の1941年8月24日、T4作戦の中止を決定した。

精神的な豊かさに気付かせてくれる関係性の意義は、「民族」を維持・増進させるための物質的な意味に限った生産性の尺度からは、とても計測することなどできない、人間の尊厳にかかわるものだと思う。だから、弾圧を顧みず、自己の良心にかけて説教の原稿を広めていった方がたの勇気には、只々頭が下がる。どれだけ敬意を表しても、しすぎることはない行為だと思う。

でも、特定の価値観に凝り固まっているナチスは、司教を逮捕しようとしたらしい。しかし、フォン・ガーレン大司教がナチスの文教政策を批判する説教には、ミュンスター市民が4万人も集まったのに、反論するナチスの演説には、ほとんど人が来なかったことから、ミュンスターでナチスへの更なる批判が起こるのを恐れ、逮捕を見送ったのだという(※2)。

◆ガス室のノウハウが応用された大量虐殺

しかし、番組によれば、中止命令は歯止めにならず、虐殺は続いてしまった。昨日のブログ(1)の冒頭で記したように、T4作戦には、医学者たちが積極的に関与していた。優秀な遺伝子こそ後世に残すべきだという社会ダーウィニズムにとらわれていた医学者たちは、自分たちの夢が阻害されたと感じた。それゆえ中止命令を不満に思い、虐殺を続けてしまったというのだ。

そのような「野生化された殺害」が継続された結果、PTSDの帰還兵なども安楽死の対象となり、最終的に殺害された人の数は20万人以上にのぼったのだという。

ドイツ精神医学会の第三者委員会で調査に当たったハンス=ヴァルター・シュムール教授の言葉によれば、「もはや、組織的な対応がなくても、人が排水溝に流れていく状態でした」。しかも、障害者の虐殺で「培われた」ガス室殺害のノウハウは、医学者たちによってゲットーに持ち込まれてしまう。シュムール教授によれば、ユダヤ人にとって、そうした「非常によく機能する殺害装置があったことが、取り返しのつかない結果」を招いてしまったのだ。

◆非常事態の下で生まれた法律さえなければ・・・

ヒトラーにとって、マルクス主義者はドイツ民族共同体の維持を阻害する敵だった。だから、大統領緊急令を根拠に、2万人以上の野党政治家や市民活動家が殺害された。ヒトラーが、マルクス主義者や資本家を裏で操っていると勝手に妄想していたユダヤ人もまた、600万人以上が殺害された。その過程で、ユダヤ人だけでなく、ドイツ民族共同体の維持に不要とみなされた「シンティ・ロマ(かつて「ジプシー」と呼ばれ差別された人々)、心身障害者(ナチ医学犯罪の犠牲者)、同性愛者、エホバの証人など」も殺害された(※3)。

この悲惨な歴史からわかるのは、人間の価値に関する一面的な信仰をもつ者たちが権力を握り、国民にその信仰を押し付けるために非常事態条項が使われ、私権が制限されたとき、市民にとって、その暴力から身を守る盾は何もなくなるという現実である。

特定の目的を遂行する舞台として非常事態がでっちあげられ、独裁が生まれたたとき、舞台装置としての非常事態はそのまま続き、監視網が張り巡らされ、権力にとって都合が悪いとみなされた人間が悉く排除されていく。そのために用いられたのは、なにからも規制を受けない権力を授権された政府による、特定の人たちの尊厳を踏みにじる法律であった(※4)。そんな法律さえなければ、いや、そんな法律の制定が許される政府の樹立へとつながる非常事態条項がなければ、障害者も、同性愛者も、ユダヤ人も、みんな、虐殺されることはなかったはずなのだ。

非常事態条項は、気軽に「導入していいんじゃない?」なんていえない、底知れない歴史をもつ代物なのである。

【注】

(※1)「ETV特集 それはホロコーストのリハーサルだった」(2016年1月30日放送)より。

(※2)Wikipediaの「クレメンス・アウグスト・グラーフ・フォン・ガーレン」のページを参照した(URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/クレメンス・アウグスト・グラーフ・フォン・ガーレン 最終閲覧日:2020年5月7日)。

(※3)長谷部恭男・石田勇治(2017)『ナチスの「手口」と非常事態条項』集英社新書、224頁。

(※4)ちなみにこの構図は、ヒトラーの第三帝国、パルパティーンの銀河帝国の双方において酷似している。

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