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ものぐさ講師の徒然日記

窓際大学教員が、日々の暮らしで感じたことを、徒然なるままに綴っています(日・木曜日に更新)

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新型コロナウイルス問題1 不安が増幅させる不信を未来へ持ち越さないために

Posted on 2020年4月6日2020年4月8日 by monogusalecturer2021

◆また被害者へのバッシングが・・・

 先週の金曜日。TBS放送の番組「グッドラック!」で、新型コロナウイルスに感染した人がネットで個人情報を晒されているという、私にとっては「またか・・・!」と思うショッキングなニュースが流れていた。

 新型コロナウイルスが発生しなければ感染していなかった人は、だれもが被害者である。罪はない。

 水俣病が発生したときも、原因はチッソ水俣工場の排水に含まれる有機水銀だったのに、被害者は「奇病が移る!」と差別された。水俣病の子どもは、学校でいじめにあった。

 なのになぜ、こうした歴史の教訓が生かされないまま、また被害者がバッシングされるんだろう?

 いたたまれなくなった。

◆不安がもたらす差別 

 いわれのない差別をもたらすのは、私たち人間の心に巣食う、不安である。

 しかも、新型コロナウイルス問題は、水俣病の原因の有機水銀とは違い、人から人へとどんどん感染していく危険がある。さらに、いまだワクチンも特効薬も開発できていない。最悪の場合、死が待っている。だから、誰もが不安になってしまう。

不安は、人間の良心を狂わせる。

未知のウイルスへの不安が、本当なら国境や人種を越えて助け合うべき被害者への差別を生む。

2015年。GACKTさんがフランスのレストランで人種差別に遭ったというニュースは、記憶に新しい。そのように、いまだ蔑視が根強い欧米では、アジア系の人が、公共の場で、暴力や嫌がらせを受ける事件が多発した。私が驚いたのは、パレスチナで支援活動を続けるNGOの日本人が、日ごろからいのちの危機にさらされ、傷つけられる人への感度が高いはずのパレスチナ人から路上で差別的な言葉を投げかけられたというニュースだった。日本国内でも、中国人に対する差別的な言動があると、連日ニュースになっていた。

心のタンクが不安でいっぱいになって溢れだしたとき、人は、不安を良心で抑えきれなくなる。そして、不安をもたらしている(ようにみえてしまう)相手を、傷つけてしまう。

◆新型コロナウイルス蔓延下でのレイシズム

ネットでの感染者へのバッシングも、こうした人種差別(レイシズム)と同じ構図をもっている。

なぜか? それは、人種差別という訳が一般的になっているレイシズムの厳密な定義に照らしてみると、よくわかる。

自身がユダヤ人であったアルベール・ベンミは、次のようなレイシズムの定義を遺した。

「レイシズムとは、現実の、あるいは架空の差異に、一般的、決定的な価値づけをすることであり、この価値づけは、告発者が自分の攻撃を正当化するために、被害者を犠牲にして、自分の利益のために行うものである。」(※)

コロナ禍のもとでは、感染者と非感染者という、ベンミのいう現実の差異がある。

そして、非感染者の人たちが、感染者を「悪」と価値づけたうえで、攻撃している。

では、コロナ禍の現状において、ベンミのいう、攻撃する側の非感染者の利益とは、いったい何か?

新型コロナウイルス感染者を攻撃する非感染者の心の奥底では、パンデミックが起きずにすむ善い未来と、パンデミックが起こってしまった悪い未来との両方が、イメージされているはずである。非感染者のなかでは、もちろん、パンデミックの起きない未来がくるのが、利益である。そのような利益に照らすと、感染者は、非感染者にとって、善い未来の到来を阻害する要因だということになる。

だから、感染者を攻撃してしまう。そして、ひとときの安心感を得ようとする。

◆差別は、差別する側のいのちも危うくする

そのように、自分の明るい未来を阻害する要因を排除したいという気持ちは、よくわかる。

私にそのような感情が1ミリもない、と言ったら、それは嘘になる。

でも、残念ながらウイルスは、誰にでも平等に襲い掛かる。どこに潜んでいるかもわからない。

アジア人への蔑視というニュースに私たちが憤っていた2か月前、イタリアやスペインが、いまのような医療崩壊に至ると、どれくらいの人が予想できていただろう?

恥ずかしながら、私は想像できていなかった。

日本にも、医療崩壊の足音が迫っているかもしれない。

助かるいのちも助からなくなってしまう、そういう日が近づいているのかもしれない。

そんな報道が毎日続く状況では、たしかに誰もが不安になる。

でも、被害者を攻撃する前に、ちょっとだけ考えてほしい。

現時点で感染しているか否か、という現実の区別に差異を設け、感染した人を攻撃してしまったら、どうなるだろうか?

感染者たちは、被害者であるにもかかわらず、自分がどこへ行ったかだけでなく、自分が罹患しているという事実すらも、正直に語れなくなってしまう。

そうすると、感染経路は容易には特定できなくなる。クラスター感染をつぶせなくなる。

そして、被害者を社会的弱者へと貶めた結果、差別した側の人たちが感染する危険度も、かえって高まってしまう。

そうして、感染者をネットでつるし上げていた非感染者も、自分が差別していた側の立場になる可能性はどんどん高まっていく。ウイルスにとって、差別する側の人間と差別される側の人間との間にある壁は関係ないのだから。

◆差別より連帯を

だから今は、現実にある差異に善悪の価値を持ち込み、いがみ合っている時ではない。

被害者同士を分断し、対策を遅らせかねない価値観を、蔓延させている場合ではない。

より公平な対策を、連帯して、できるだけ早く実施しない限り、困難な状況は打開できない。

ただし、この場合の連帯とは、3・11東日本大震災の被災者を苦しめた「絆」といったような、抽象的な掛け声の類ではない。自由に意見を言い合いながら、よりよい方策を採用し、助け合いながら困難を乗り越えていく、という意味である。誰もが陥っている不安。それを取り除くには、誰もが「不安だ!」と自由に語り合い、一緒に未来を構想していける社会環境こそ重要である。

SARSの経験から平時の備えができていたとはいえ、台湾が、民主的な議論によってバラエティに溢れる対策をスピーディーに打ち出し、コロナ禍の困難を乗り越えたのは、決して偶然ではない。

◆ポストコロナ時代をどう築くのか

新型コロナウイルスへの対処のあり方は、このウイルス禍を乗り越えたあとの社会のありようにも、大きく影響するだろう。

より民主的な方向に向かうか、それともおおきな禍根を残し、みんなが分断された社会で息苦しく生活しなければならなくなってしまうのか。

いまは、その分かれ道にたたされている、と私は思う。

もし、被害者を差別し排除していく価値観が蔓延したら、この社会はおおきな禍根を残すだろう。

けれども、どこが非常事態法の該当区域になるか、足りないマスクをどうやってなるべく多くの人にいきわたらせるようにするか、というように、できる限りいのちの線引きをしない方策を、できうる限り民主的な議論で決めつつコロナ禍を乗り越えられたなら、今後、同様な事態に見舞われたとしても、同じように互いの意見を尊重しながら連帯し、危機を乗り越えることができるかもしれない。

私たちは、幸いにも、台湾のような優良事例から学ぶことができる。

また、ペストやスペイン風邪が流行ったとき、世間でいったい何が起こってしまったのか、歴史から学ぶこともできる。

不安なときこそ、冷静に現実を見つめ、助け合いながら、過去に学び、よりよい関係性を築いていかなければならない。強くそう思う。

不安が増幅させている不信感を、お互いの議論と協力によって乗り越えるために。

この点について考えるとき、環境史がご専門の藤原辰史さんの論考は、群を抜いて輝きを放っている。

https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic

ぜひ御一読をお薦めしたい。

(4月7日に修正しました)

【注】

※アルベール・ベンミ、菊地昌実/白井成雄訳(1996)『人種差別』法政大学出版局、98頁

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