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1、都知事の驚くべき認識
4日にわたってみてきたように、この国は自然災害への備えが盤石だとはいえない。にもかかわらず、政府は、20年ぶりの大雪が降ってもなお、準備不足を補うには初動の迅速さが必要だと気付けなかった。
危機意識のなさは、残念なことに、新しく都知事に就任された舛添要一氏も同様であった。
舛添氏がテレビ番組に出演した際の驚くべき発言を、トピックニュースから引用してみよう(「TOPIC NEWS」2月10日記事「東国原英夫氏、舛添要一氏の発言に疑問 「こういう認識で大丈夫なのか」」)。
フジテレビ系情報番組「Mr.サンデー」に電話出演した際の舛添氏の発言。同番組で舛添氏は、今後の都政の方針について「まず防災が第一でしょう」「直下型地震も来る危険性があるんで。防災でも世界一をやる」などと語っていた。すると、司会の宮根誠司が「東京にとっても、今回の大雪っていうのは、災害だと思うんですけど」と質問。舛添氏はこれに「んー、まあ、だけど、要するにその40何年かぶりなんで、雪国から見ると笑っちゃうくらいのことなんですけど」「(大雪は)一日で終わる話ですから。直下型地震とか、集中豪雨とかそっちのほうが大きいと思いますね」と答えていた。
たしかに、3センチくらいの積雪でも大混乱を起こしてしまう首都圏の現状は、雪国で暮らしていれば笑えないでもない。しかし、今回の大雪は、二年間、雪国で洗礼を浴びた私でも笑えない積雪深である。
30センチ越えの雪が毎日のように降り続けば、雪国だって疲弊する。雪かきで疲れ切って絶望感にさいなまれるし、交通だってマヒする。なにも、毎日笑って雪かきしているのではない。みんな、疲れた体に鞭を打ち、やっとの思いで雪かきしているというのが現実である。
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2、雪国だって大変なのだ!
しかも、昼に大雪が降れば、夕方も雪かきをしなければならない。
そうしてきれいになった道路には、ぶ厚い氷が貼ってはいるけれども、平坦になっているから、車も歩行者もなんら問題なく通行できる。
ところが、である。除雪を担当している業者さんは、出動しなければ日当がもらえない。だから、除雪車が夜な夜なやってきて、剥がなくてもいい路面の氷をはぎ、その山を家々の軒先に置いていく。
そのため、せっかく前の日の夕方きれいにしておいたにもかかわらず、除雪車が深夜に通った翌朝は、たとえ夜に雪が降らなかったとしても、氷かきをしなければならなくなる。お金のためにやってきた除雪車のために、しなくてもよい重労働を出勤前からさせられて、とご近所中が怒っている。
商店街や幹線道路だけは、このような氷はぜんぶ撤去してくれるのだから、怒りはさらに増幅される。
でも、行政は民間業者に除雪を委託している身分だから、市民からいくら苦情がきても、あまり強くは言えない立場なのが実情である。
しかも、高齢になればなるほど、雪かきは体にこたえる。雪かきが難しいお宅の前は、近所が助け合って雪かきする。でも、そんなにうまくいっている地域だけではない。雪かきが難しいお宅の屋根の雪が、うるさいお隣さんの敷地に落ちてしまおうものなら大変だ。雪捨て場所や融雪溝をめぐるご近所トラブルだって、いたるところに転がっている。
雪国には雪国の、雪を取り巻く苦しさと矛盾が渦巻いているのだ。
だから、舛添知事の発言は、雪国で過ごした私から見て、とても看過できないものである。雪国の実態をあまりにも知らなすぎる発言だと思えてならなかった。
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3、それでも大雪を矮小化できるのか?
また、今回、歯を食いしばり、不揃いな道具しかないなかで雪かきをした多くの都民をも裏切る発言だったとも感じる。
大雪の次の日から歩けるようになっていたのは、雪かきがきちんとなされていた場所だけだ。雪が放置された場所や道路は、残雪や残雪からの雪解け水が氷となり、つるつる滑って、車も自転車も歩行者もたいへんだったのだから。そして、多くの事故が発生してしまったのだから。
さらに、雪害は、舛添知事の発言に反し、1日で終わったわけでもなかった。
2回目の大雪ではとくに孤立地帯が続出、犠牲者も出てしまった。
これは、れっきとした「自然災害」のはずである。
雪の重みでつぶれたのが車庫や倉庫だけで済んだからよかったものの、韓国ではイベント中のソウル大の学生が犠牲になってしまった。住宅や公共施設の屋根が崩落する可能性だってけっしてゼロではなかったはずである。もしそうなっていたら、人的な被害が出てきたかもしれない。
それでも、数十年に一度の大雪はたいしたことのない出来事だと知事は仰い続けるのだろうか?
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4、自然災害に大小はないはず!
大雪は、いろいろな災害をもたらす。それが、雪国の常識である。
それでもなお「きたる首都直下型地震のほうが甚大な被害が想定されるのだから、そちらの対策のほうが大事だ」というのなら、舛添知事は大きな認識ちがいをしているように思う。
それは、犠牲者数の多寡をものさしにするという過ちだ。
このような、市民をマスとしてみるものさしでは、市民一人ひとりの生活といのちに寄り添うことはできないのではないか、と感じる。少数者を切り捨てる発想にもつながりかねない。
舛添知事が、いみじくも防災をメインの主張として当選されたのであればなおさら、「どんな災害がこようとも、誰一人失われてよいいのちなどない。全力を尽くして対応に当たる」と明言し、大雪対策にも積極的に乗り出すべきだったのではないか、と残念で仕方がない。
すでに「舛添を都知事にしたくない女たちの会」が告発しているように、女性やお年寄り、生活保護世帯を蔑視してきた舛添氏の耳には、窓際大学教員の声など届かないとは思うけれども・・・。
新都知事の就任早々、失望させられる発言で、とても残念な思いがした。