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1、TBSの日曜劇場『日本沈没』
小栗旬さん主演のドラマ『日本沈没』が面白い。最終回がとっても楽しみ!
それはさておき、休日出勤の振替休だった昨日、このドラマをめぐって二男のYくんとの面白いやり取りがあった。
2期末試験の採点日で中学校がお休みだった二男のYくんと一緒に買い物へ行っている道中、Yくんが『日本沈没』についておもむろに語り出した。
「パパ、ほんとうに日本沈没すると思う?」
それにたいし、私は「起こるわけないじゃん!」と返した。
すると、Yくんは次のように語り出した。
「でも、絶対にないとは言い切れないよね? だから、学校では『もしかしたら日本沈没すんじゃね?』という話題でもちきりなんだよ。」
◇◆◇◆◇
2、世紀末。
「たしかに100%ないとは言い切れないかもね。でも、直近で起こる確率はほぼゼロに近いと思うよ。」
そう言葉を返しながら、私はあることを思い出していた。
そう、30代以上の世代ならだれもが知っている、あのノストラダムスの大予言である!
20世紀末の1980~90年代、テレビでは数々の特番が組まれ「1999年に地球が滅亡する」とまことしやかに語られていた。隕石が落ちてくるのではないかとか、地球が爆発するのではないかとか、あいまいな表現のノストラダムスの大予言からイメージをふくらませて、いろんな説が唱えられていた。
いま思えば、あきらかに高視聴率獲得のための煽り番組だったわけだけれど、こどもだった私は見事に洗脳されてしまっていた。
そしてそれは、クラスの、いや学校ちゅうのみんなも一緒だった。
◇◆◇◆◇
3、時代が変わっても変わらないこと。
そんなテレビの影響をモロに受けていた小学4年生のときの私が、育ての親である伯母に向かって「ねえねえ、おばちゃんは地球が滅んでしまうと思う?」と本気で訊ねたのをいまでもハッキリ覚えている。
伯母は、「そんなことはないと思うけどね」と返してきた。
それにたいし、テレビであらゆる説を「勉強」していた私は、それらの「知識」を総動員して、伯母のを説得を試みようとしていた。
「でも、隕石が落ちるかもしれないんだって。そうじゃなければ大爆発が起こるかもしれないんだって。そのときに、人類は逃げ切れるかな?」
そうしたら伯母は、「そのときにはもう、運命だと思ってあきらめるしかないんじゃない?」と、本気で語る私を笑うでもなく、明るく返してくれた。
いざ自分が親になってみて、こどもに日本沈没の可能性を力説されて、30余年前、自分がノストラダムスの大予言を信じていたころと同じだな、と微笑ましくなってしまった。
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4、失われているこども心!?
と同時に、自分の変化に驚いてしまった。
伯母に力説していたころは、〈まだ死ぬのは嫌だな~〉とか〈月まで逃げる方法を本気で考えなくちゃ!〉とか思っていたけれど、いまでは自分も、伯母とまったく同じように、そんなこと簡単に起きるはずがない、起こったら諦めるしかない、という境地(?)に、知らぬ間に達していたからだ。
これって、自分が大人になったからなのだろうか?
もちろん『日本沈没』は小松左京さんの壮大なフィクションだから、相当先の話ならともかく、直近ではありえない。ふつうの大人なら、誰もがそう判断すると思うから、Yくんへの私の返答は至極まっとうなふつうのオトナの反応だといわれれば、確かにそうなのである。
だけど一方で、実は、SFを純粋に楽しめる心がどんどん失われていっているのかもしれない、という気もしてきて、それはそれでちょっぴり寂しい気持ちも湧き上がってくる夜だった。